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海の上のピアニスト

sea1900.exblog.jp

力を入れすぎないblog  それなりに暮す毎日

2005年 11月 02日 ( 2 )




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マーラー、ドヴォルザーク、そして昨日から聞いているのが、
モーツァルトの「戴冠ミサ」だ。
モーツァルトのミサ曲の中でも最も有名で、聞いていてもその響き
が伸びやかで美しいと思う。
それで、思い出したのが、映画「アマデウス」。
モーツァルトの名前は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトで
当時はイタリアの音楽家がもてはやされており、モーツァルトとは
「神を愛する」「神に愛された」の意味があるとの事。

私は時代の雰囲気(あくまでも)を教えてくれると言う意味において、
歴史映画が好きだ。
勿論、映画で表現される世界が100%だとは思っていないが、あくまでも
その時代の雰囲気は味わえる。


1823年、冬、ウイーンの精神病院で、宮廷音楽家アントニオ・サリエリが
「モーツァルトを殺したのは、私だ!」と告白を始める。

宮廷音楽家として絶頂の頂にサリエリはいたのに、その前に現れた若者
モーツァルトがサリエリのプライドをずたずたにしていき、才能溢れる
モーツァルトに嫉妬して憎悪を重ねて行く。
怖いのは、女の嫉妬ではなく、男の嫉妬だ。
特に、才能に対する嫉妬は奥が深いものだと思う。
嫉妬から才能が開花すればいいのだけれど、そんなに簡単ではない。
だから、人は嫉妬してその領域から出られないのだろう。
領域の中で、その嫉妬の炎をどう鎮火するのかというと、サリエリは、
モーツァルトが、皇帝が禁じているテーマを作曲している事を密告する。
汚い方法でしか、サリエリは立ち向かえない。
良くあるパターンか?

モーツァルトは、ガハハと笑うお軽い若者として描かれていて、酒に酔い
人に抱きかかえられて、ピアノに向かうシーンがある。そこでは、右手と左手を
交互にして、仰向けになってピアノを弾くのだが、モーツァルト役のトム・ハリス
が見事に決めていて、役者のすごさを感じた。

当時のオーストリア皇帝は、マリーアントワネットの兄、マリアテレジアの息子
である皇帝ヨーゼフ2世だ。
モーツァルトが皇帝に会うシーンでは、サリエリが、モーツァルトを歓迎する
為の曲を作り、その曲を皇帝自ら演奏する。楽器はピアノの前身である
クラヴィーアだと思う。

ところが、この曲がおそまつで、皇帝も音楽の才があるとは思えないような
たどたどしさで弾く。サリエリは皇帝様様だから、心の中で思っている事を
口には出さない。
ところが、階級や権力を気にしないで、自由なモーツァルトは自由で、
伸び伸びしている限りない音才の持ち主だった事が解る。

モーツァルトは自分の歓迎の曲を「こうした方がいい!」と言って変えてしまう。
この自由さや、変えた後の喜遊曲が楽しい。

モーツァルト役のトム・ハリスは、当時の流行のカツラをつけてファッショナブル
に登場して、さっと弾くのだが、ピアノの特訓を受けたとはいえ、見事だった。

アメリカ映画では、過去に「コンペティション」もそうだが、ピアノの特訓で、
役者が素晴らしい演奏までこぎつける姿勢がすばらしい。

トム・ハリスの指は、すでにモーツァルトのそれだった。

ある時、サリエリはモーツァルトの書いた楽譜を手に取り、戦慄を覚える
のだった。なぜなら、それは、書き直した後のない楽譜だけで構成されていて
要するに、モーツァルトの頭の中には、曲が完全な形で、出来上がっていた
のだった。
これを才能と言わずして、何と表現出来ようか!

それも、遊び人風の若いモーツァルトにその才能が満ち溢れているのだから、
大人のサリエリは愕然とする。

サリエリは死神に変装して、モーツァルトの家を訪れ、複雑な曲を彼に短時間で
作れ!と強いたので、モーツァルトは35歳で、過労死してしまう。


全編を流れう音楽が素晴らしく、何度も登場するオペラシーンの歌声も
この映画をダイナミックな音楽映画に仕上げている。

オペラシーンにも圧倒されて、モーツァルトの音楽の流れにも酔った。

れから、モーツァルトを聞くようになった私だが、時に、トム・ハリスの
「がははははは・・・」という笑い声が聞こえるようで、何とも楽しい。

とにかく、音楽映画としては第一級だ。
音楽好きにはたまらない作品なので、ぜひ、オススメしたい。


「戴冠ミサ」k371
キリエ 二短調 k.341
聴聞僧のおごそかな夕べの祈り k.339より第5曲
どれもすばらしい!






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by sea1900 | 2005-11-02 14:17 | 映画
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あるとき、パラオのホテルの海岸で、母親と大学生の娘と
出会い、話した事があった。
彼女達は、一口に言って、ここでのダイビングに失望していたのだ。
図鑑のように、色がきれいではなくて、実際には、くすんでいる事に
失望しているのだった。
海中電灯で照らすとはっきりした赤や、黄が映し出されるのに
ライトが無いと、鮮やかさが無くなり、そんなにきれいではなくなってしまう。

そうは言っても、海中は素晴らしい。
ただし、浅めの水深10m位が上からの太陽光線のお陰で、明るく、さんご礁
が花畑のように展開するのだ。

水深がどれくらいなのかは、水面を見上げると、大体の見当が付く物だ。


ところで、この母子は、今までで、一番感動したのは、インドでの事だと
言っていた。それを思うと、色彩のボケた海中は、気の抜けたビール程度
の物だったらしい。


色彩とは、地上の物なのだ。
太陽の光を浴びて、暮らす中に在る当たり前の色彩だ。


水深30mになると、気圧が自分の体にかかるのを感じる。
色彩は、太陽光を感じなくなるから、薄暗い。
ブルーの世界で、魚もきれいではなくなる。


早く、浅いところに帰りたい!そう思う。

ドロップOFFは、水深が見えない。
おそらく何100mもあるのだろう。

誰かがニコノスのカメラを落とした。
それは、ゆっくりと吸い込まれるようにドロップOFFに消えた。

だれも取りには行けない。

地球の不思議を感じた瞬間だった。
水深30mの静かな世界では、宇宙遊泳のように、沈まず浮かない。
ただ、浮いている状態で<今>が夢の様だ。


色彩が放つ魅力は、太陽光の元での事。
太陽の無い世界は、静かで暗い。

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by sea1900 | 2005-11-02 00:19 | 過去