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海の上のピアニスト

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『ヨコハマメリー』

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純白のドレスと白い化粧をして、横浜の街角に立つ老婆“ハマのメリーさん”。終戦直後から50年近く、背骨が曲がっても娼婦として生きてきた彼女の存在は、横浜で生まれ育った人ならば誰もが聞いたことのあるものだった。私の知人も何度か見かけた事があったそうだ。
95年の冬にメリーさんは横浜から突然姿を消してしまう。
おそらく、亡くなってしまったのかと思われたと思う。

彼女の存在がいつしか都市伝説と化していく中、メリーさんと深い交流のあったシャンソン歌手・永登元次郎さんは、彼女への思いを募らせていた。

永登元次郎さんは語る。

「シャンソン歌手としては有名になれなかったけれど、好きな歌を歌ってこられたので良かった。」と。
ゲイボーイとして男娼の時代を過ごした事のある元次郎さんは、メリーさんに対して、自分と重なる部分を感じ尚更心配していたのだった。
時々、金銭的援助をするのだけれど、メリーさんは気高くて恵まれる事を嫌い、お金はお祝いのノシブクロに入れて<お花代>と書いて、「きれいなお花を買って下さい!」と言って渡したと言う。

元次郎さんは、メリーさんが定住先も無く、加齢と共に哀れっぽくなるので、生活保護を受けられないかと役所に掛け合ったりしたがダメだった。
当時、町の洗濯屋さんの更衣室で着替えをして、ドレスは洗濯に出していたそうで、当時の店のご夫婦の話等も聞けた。
また、メリーさんが通っていた美容室では、他の女性が気味悪がってしまいメリーさんをお断りしたそうだ。
また、メリーさんの真っ白なお化粧は、化粧品店のおばさんが、油を使っていない水溶性のおしろいを勧めたそうだ。鈴木その子も真っ青になる白さだ。


作家の山崎洋子さんも当時の事を話している。

メリーさんは、既にパンパンというだけではなくて、戦後のヨコハマを浮き彫りにするカリスマ的な存在だ。
そして、アメリカ兵相手のパンパンの存在の善悪なんか飛び越えて、力強く生きた女性史を見る思いがした。
当時、山の手の外人墓地の通路には、何人もの赤ん坊の死体が捨てられていて、どんどん増えるので、根岸の墓地に移したと言う。

思っていたよりも、すごい映画で、この映画を作ったのはメリーさんの孫の時代の人に当たる20代から30代の人達で、5年間も撮影を続けたそうだ。


1995年には、メリーさんの姿が消え、<きっと、亡くなったのかも知れない>という憶測は正解ではなかった。
田舎の実家の弟さんに手紙を出して、実家に帰りたいと言い帰ったのだった。
そして、現在、既に癌で亡くなってしまった元次郎さんが田舎の老人ホームを訪れ、シャンソンを披露する。その前で、静かに穏やかなお顔で、聞き入っていたのは白塗りをやめた自然なお顔のメリーさんだった。
その顔は、とても嬉しそうで、それを見てほっとした。

五大路子の一人芝居「横浜ローズ」は、そんなメリーさんを描いている。
そして、腰を曲げてラストは赤い薔薇一輪を片手に持って、劇場去るのだが、その時に観客は五大路子の手を取って言葉をかけるが、「これは、私への言葉ではなくて、メリーさんへの言葉だった」と言っている。

それ程に、存在感のあったメリーさん。

一つの時代が終わろうとしている。

メリーさんは今、本名で暮らし、86歳に成った。
        今、幸せならば、それでいい!

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by sea1900 | 2006-11-08 22:16 | 映画

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