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海の上のピアニスト

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『奈良高一放火殺人犯、父親の手記』を読んで

最近では、一年中、殺人事件やおかしな事件が後を絶たない。
親を子が殺したり、子が親を殺したりと、昔ではありえない様な事件も多くて、これを、『現代の自然淘汰』と表現した知人がいたが、私なら、『現代病』と名付けたい。

奈良の高校1年生の放火による殺人は、記憶に新しい。
小学高の時には、優しく、成績の優秀な、スポーツのとても出来る男子が、有名私立中・高に入ってからは、成績が思うように伸びなくて、成績だけを重要視する父親を恐れた事。
事件後に、他人の家に上がり込み、家では見せてもらえないサッカーを見ていた事。
亡くなったお母さんは、後妻だった事などが、当時、週刊誌をにぎわせていた。
父親の手記には、深い反省が感じられ、息子は、自分の意識が戻ったように反省した様子が描かれていた。

それでは、家とは、家族とは・・・と、私は、今更の様に考えるてみたい。
家とは、その家の家風を持っていて、家族がいる。
血と血で繋がった絆は、時に面倒だし、時に、安らげる。
しかし、親と子であっても、所詮は個人の繋がりだと思うので、個人の自由は尊重しなければならない。例え、子供であっても、親の所有物とは違うのだ。
あくまでも、子供は『神様からの授かり者』ではなくて、『神様からの預かり者』だと思う。
神様から、お預かりして、十分に楽しませて頂き、成長したら、世の中にお返しする者なのだと思う。そう考えると、子供を一個人として、大切にしなければ成らなくなる。

生活の全てをひっくるめて、その中で、楽しめる時を存分に楽しめたら良い。
それでこそ、親としての喜びだと思う。
医師と言う職業が全てでは無いし、自分の人生は、本人に選ばせたら良い。


*     *     *     *     *

事件のあった家庭では、父親が息子の教育を仕切っていたらしいが、母親は、どう考えていたのだろうか?私は、この点を疑問に思っている。

父親と同じ考えだったのだろうか?
父親が息子に暴力を振るう姿を見なかったとは、言えないだろう。
後妻として長男に接する大変さはあって当然だが、一つの家族としての繋がりを考えた場合、長男と向かい合って、真剣に話した事はあったのだろうか?
亡くなってしまった方には、申し訳ないと思いながらも、続けたい。

長男を、父親の暴力から、一度でも、守った事があったのだろうか?
口だけではなく、全身全霊でもって、長男を守ったかどうかを知りたい。

長男は、大人達の息子ではなく、ロボットとして、生かされていただけだと思う。
父のエゴの元に、自由も無く、虚ろな日々を送り、事件を起こし、
大きな犠牲の後で、やっと、父も息子も、現実の親子に戻れたのだと思う。
催眠術から醒めた様だ。

父と息子は、これからの人生を共に生きて、いつか本当の親子に成って行くのだと思う。
しかし、2人にとっては、2006年7月と言う時が、始まりと終わりという、非常に重い時である事は、永遠に変わらない。

子供は、溢れる位の愛情で、泳がせて遊んで、それで育っていくのだと思う。
もしも、この家庭がそうだったら、皆が幸せだったと思う。

父親の手記を読んで、長男は唯の子供なのだと思った。
子供の人生をゆがめてしまった父親の、苦悩の程が心に沁みた。痛い手記でもある。

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by sea1900 | 2006-08-04 01:58 | 名前

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