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海の上のピアニスト

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力を入れすぎないblog  それなりに暮す毎日

これは『昼顔』から『夜顔』を観た人にしか解らない内容。

そして、これが『昼顔』から38年後のセヴリーヌと彼女の今は亡き夫の友人ユッソンの姿だと思うと、それだけでは無い。
「私はかつての私ではないのよ!」
「あなたが敬虔な信者になったのですか!あなたが!」
何年経った所で、ユッソンにとっては、セヴリーヌは『昼顔』なのだ。
背徳、欲望、そう言ったものから『倒錯した愛の世界』に浸ったセヴリーヌ。
『昼顔』の解釈の仕方を、続編『夜顔』では、こう作ったけれど、最後の解釈はあなたにお任せします。とオリヴェイラ監督が笑っている様な仕上がりだ。
 『昼顔』でも幻想的なシーンがあって、どこまでが現実なのか、どれが幻想なのか解り辛いところもあった。
 食卓の蝋燭の減り方が自然で、セットのレストランが本物の老舗の店に思える。
その中での2人の会話の行方は少なく、ユッソンはあの箱を取り出すが、これは完全にブニュエルへのオマージュ。
 セヴリーヌが機嫌を損ねて立ち去ったドアには、鶏が現れる。が、これは幻想。
昼顔では、セヴリーヌはユッソンにそそのかされて昼間だけの高級娼婦に成るが、夜の娼婦が現実的だとするならば、昼の娼婦は現実的ではない。つまりは、全てが『幻想』だったかもしれないという示唆。
ブニュエルは、『幻想』は、ブルジョアジーの特権であり、それによって民衆支配を促す元凶である。という。
全ては『幻想』という想定ならば、納得できそうだった。
レストランのシーンには、凝縮された美しさがあって、ヨーロッパ映画の良さを思う存分楽しめる作品でもある。



参考に、
――映画<昼顔>の結末は、私には、ちょっと納得のいきかねる節があった。
  戦後いちはやく、堀口大学の無削除版の原作の翻訳を読んだが、そこでは、たしかセヴリーヌが情夫マルセルをけしかけて、夫ピエールをピストルで撃たせるのではなかっただろうか。
   少なくとも、そのほうが夫婦愛のサド=マゾヒズム状況に関する、論理的一貫性を保ち得たはずであろう。
   そのほうが、セヴリーヌは夫の失明の責任を、よりひしひしと身内に感じること出来たはずであろう。
   しかし、ブニュエルには、どうやら結末に曖昧なものを残しておく、ミスティフイカシオン(韜晦)の趣味があるように見受けられる。
  平凡なインテリの亭主を失明させ、廃人同様にしてしまうという筋立ては、ブニュエルにとって、生理的快感ともいうべき、一つの世界の完成につながる満足感をもたらすものだったに違いない。

     ・・・・・・・・・・・・澁澤龍彦・・・
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# by sea1900 | 2008-07-31 00:41 | 映画
秋葉原の事件の事を、知人と話していた。

私は両親の会見を直接TVで観た訳ではないけれど、ここまで親が出てこなければ成らないのだろうか?と私は思っている。
25歳にもなって、ましてや親元から離れて暮らしていた犯人の心理状況を親が知るはずも無いだろう。
 この話を子供のいない中年の男性2人に言うと、『親に責任がある。』と断言するのだった。
彼らは「40、50歳にもなれば親の責任は無いけれど、まだ25歳くらいじゃね!」と笑う。
だったら、親は自分が70歳を過ぎても、子供の事をいつも考えなければならない事になるわけでこれは変だ。



知人の友人の子供が、この事件の時、偶然同じ場所に居合わせていたそうだ。
そして、被害者を携帯で撮ったのだという。
おそらくは、何枚何十枚という被害者の写真が携帯やPCから世界中に発信されただろう。

ほとんど、何の感情も持ち合わせないで、興味本位の行動としか思えない。
『常識』や『良識』『思いやり』等の語彙が古典的に思えていく。
しかし、日常をPCや携帯なしでは生きていけない彼らにとっては、特別な行為ではないのだ。
写真を流す行為は、日常茶飯事なのだから、被写体がけが人であっても、ごく普通の人間であっても関係なし。

今日発売の週刊文春に、

青森県一の進学校から「8年負けっ放しの人生」とあるが、
誰が「負けっぱなし」と決め付けるのだろうか?

偏差値の高い大学を卒業して、有名企業に入れば勝組なのだろうか?

『勝った』と思えて優越感に浸った事が逆転する事もあるだろう。
要は考え方次第なのだけれど。


偏差値教育の落とし穴だって、一つや二つじゃないけれど、

まだまだ無邪気な小さな子供を見ると、
犯罪に巻き込まれないで生きていって欲しい。とだけ思うこのごろだ。
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# by sea1900 | 2008-06-12 21:59 | 現在
青い地球は何処に行く!

後40年でガソリンは無くなるかもしれない。
食料危機にもなるだろう。
地球温暖化もどんどん進むだろう。
電力も底をつくだろう。
飲料水も少なくなるだろう。
異常気象も今よりももっと激しくなるだろう。
人間も荒れるだろう。
暴力もはびこって、嫌な事件も多発するだろう。

スタンプで押したような『明るい未来』という言葉は、何処かに消える。

義務教育だって、拒絶する人間が増えるだろう。
登校拒否、ニート、校内での問題、まっすぐには生きられない子供達。

問題ばかりが山積みだけれど、
『哲学』を頭で理解するよりも、
山積みの問題のある日常を、たいした希望も夢もなくいき続ける事は、
意味のある事なんじゃないかな。

ただ、生きる事だけに全エネルギーを向けて惜しまない動植物を見習う時もあるはず。

こんな時は、さんご礁の海にでも出かけるのが一番いいのだと思うけれど、
それも時間がないね。

人間が人間を傷つけて、人間恐怖症になっている貴方に言える事はただ一つ。


コミュニケーションがうまくいかずに、落ち込んでいる貴方に言える事はただ一つ。

良い人もたくさんいるよ、この世の中には・・・・・・
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# by sea1900 | 2008-06-07 15:38 | 手紙
イギリス映画の良さは、決して派手ではなく、マホガニーのイギリス家具が何年もの間使われるような実直さにあると思う。
 
 孫の病気の為に大金を工面しなければならなくなり、初老のおばあちゃんマギーは風俗業界に入り、天性の『やわらかい手』で、売春はしないでお金を稼ぐというストーリーなのだけれど、そのプロセスの中には、風俗店経営者の移民ゆえの話や、性に対するユーモアも織り込まれていて、きめ細やかな演出がにくい。

平凡にこのまま歳をとっていくしかないと思えるマギーにとって、この事実は彼女自身の大きなターニングポイントとなり、次の人生を切り開いていく事になる。
 元々マギーは強い女性だったと思うが、世間体を考慮して自分を押さえ込んで生きてきたのだろう。ところが、人のうわさや評判を気にせず、自分自身を信じて生きる事に徹する姿に変化した時のマギーの姿には、面白い程スッとした爽やかさを感じる。

シンプルなストーリーを背景に、確かな演技力のマリアンヌ・フェイスフルの自らの再生とダブったような重厚感がすばらしくて、歳をとる意味が見えてくるような作品だと思った。

どんな状況にあっても、マギーの自分自身を失わずに前向きに進む姿には、周りの人を幸せに導くパワーを感じて、心に残るとても力強い映画に仕上がっていた。


 
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# by sea1900 | 2008-06-06 22:33 | 映画
男性のロンゲはいただけない。
美しいとは思えないからだ。

先日、友人とさる会場にて丸イスに座っていた。
1ドリンクは、冷たいビール。

友人の前に座っていたのは、ロンゲをどこぞの宗教団体のご一行様のごとく、一つに縛っている女性だった。と思ったら、男性。
艶も無く、白髪交じりのその御髪には、不潔感が漂っている。

ロンゲは+チョーがつくロンゲの2乗。
ロンゲの先がイスの下にある。と言う事は、ここ何年か切っていない模様。

隣の友人が何か様子がおかしかった。後で聞くと、友人のビールの缶にぺったりとロンゲが張り付くので、気持ち悪がっていたのだった。

この話を昨日、人形教室で話したら大笑いになった。



けれど、一番面白いと思ったのは、挨拶もしない暗い影を持つ男性が、
ケタケタと下を向いて笑っていた事だった。
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# by sea1900 | 2008-06-05 02:35 | 人間
健康オタクの友人から、3Mix-MP法の歯の治療方法を聞いたのは、2週間程前の事だった。
 これは歯を削らないで、と言ってもエナメル質だけは少し削り、内科でも使われている薬3種類を塗って直すという画期的な方法。

仙台の歯科医師が考え出し、TVでも放映されていたそうだ。
この医師が多くの歯科医師にこの方法を伝授したようだが、どうしても『削る』癖のついている歯科医師の事ゆえ、エナメル質よりも先まで削ってしまい、結果として完全な治療とまでいかないらしい。

で、健康オタクの友人は、自分の歯の症状をfax で事細かく送ったのだった。しかし、医師からは何の連絡もなく、何日かが過ぎていった。

そして、既に諦め切っていた時に、電話をしたらやっと繋がり、医師と話す事ができたそうだ。

 もっと痛くなってから連絡をして、来て欲しいとの事だった。

医師の医療への情熱は、医療の届かない国々まで出向いて治療をするまでになっていると言う。

何事も情熱があってこそ、前進出来るのだ。


市内の○○医師のように、ろくな治療もしないで自信満々に金儲けに情熱を注いでいたら、
それは単なる自己満足と言う物。

人間性が問われる問題だろう。
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# by sea1900 | 2008-06-05 01:47 | 人間
今年の一月、久しぶりに行ってみたい所があった。
それはチュークのジープ島と言う小さな島で、水道も電気もつかない所だ。

それで、当時は色々と資料を集めて、6月には行こうと思っていた。

何もない所だから、無いよさがあって、人間の本質だけで生きていけるような良さがあると思っていた。
それでまずは新しいスーツケースが欲しくなり、サモサナイトの赤いスーツケースを購入。

ところが、何処と無く体調不良が続き、3月になったらすっかりさめてしまった。
グアムの夜を一人で乗り切るのもやや不安。外国が怖くなってもいる。

海辺の暑さを思い出したら、暴力的な紫外線から遠のきたいと思ってしまったのだ。

そして最近では、映画とかコンサート、舞台等の方が自分にあっているような気がするのだ。

残されたスーツケースは無用となり、せめて少しは役立って頂きたいとトイレットペーパーが詰め込んである。
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# by sea1900 | 2008-06-02 00:40 | 現在
知人は広い屋敷の庭に、サモエドを自由にして飼っている。
屋敷は門で囲まれているので、そういう飼い方は、紐で縛って飼うよりも遥かに良いのだが、困った事があるものだ。

今朝の事、私はその家の庭にいた。

すると、門の外を自転車に乗ってやって来た60歳過ぎのおばさんが、自分の口の中から何か取り出して、サモエドに投げた。

飴玉だった。

サモエドは喜んで飛んで行き、敷いてある砂利と同じくらいの大きさの飴玉を口の中に入れた。
あっけにとられていた私が「飴やるの~!」と叫んだ時には、自転車おばさんの姿はもうなかった。  ( 早~)

最近では、大きなおにぎりやせんべいが外から投げ込まれているようだ。

人気者の辛さとでも言えばよいのだろうか?
拝観料のつもりなのだろうか?
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# by sea1900 | 2008-05-27 22:41 | 食べる
『絶対の愛』のあらすじの最初を、30代の映画を観ない女子に話したら、案の定興味を持たなかった。が、そこで偶然私の話を聞いていた年上の男性は、「面白い!」と叫んだ。

直感が鋭いと言うのだろうか。

DVDを貸して、感想を聞きたいと思った。
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# by sea1900 | 2008-05-27 22:25 | 人間
キム・ギドク監督の『絶対の愛』を、昨日の早朝に観た。
そして、その重さと疲れに一日を過ごす事と成ってしまったのだ。

キム・ギドク監督の一筋縄ではいかない話の展開には、最初は新鮮さや面白さを感じる方も多いと思うけれど、終盤は救いのない暗さや絶望感のあり地獄に突き落とされてしまう。

その絶望感に浸った時のヒロインの狂気を表す事が、キム・ギドク監督にしか出来ないのだと思う。

美容整形大国の韓国という背景は、簡単に自分を変える事が出来るチャンスを与えてくれる訳で、日本人から観ると、まだまだ他人事だろう。
 お国柄というのは不思議な物で、実際、韓国では小学生にも美容整形をさせる親もいるようだ。

ごく普通の若いカップルが、交際2年も過ぎると自然にぶつかる壁に、ヒロインは美容整形をして、名前も変えて彼の前に現るが、彼の心の中に生きている元の自分に嫉妬し、悩んでいく。

『絶対の愛』という幻を追い求めたゆえに、逃げ場がなくなり、『狂気』に走るヒロインの姿には、めいっぱいに生きる女の精気さえ感じてしまう。

『愛の限界』を見極められなかった罪なんかあるはずもないし、結果としてこうなっただけの事だと思うけれど、非情な残酷な話だ。

人間の奥底にある残酷さを、これでもかと監督は生活の中に持ち出して、
最後には、観た人に判断をゆだねている。
 

非情に面白い映画でもあるし、重い。
正直な人間にしか作れない映画でもあると思うし、人間の頭脳と心のバランスを常に考えている作品だと思った。

商業ベースの韓国ドラマに対して、しっかりとした主張のあるキム・ギドク監督の映画の面白さを観る結果となったが、作品の中に度々映し出されるペミクミ彫刻公園の面白さはとても新鮮で、独特のセクシーさが良い。
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# by sea1900 | 2008-05-26 00:41 | 映画
私の仕事は、金持ちと呼ばれる人達を対象とすることが多い。
例えば、会社の経営者や院長の婦人と言ったお金に自由な人達だ。

ところが、どの世界にも良い人とそうではない人がいて、金持ちでも、もちろん同じ事が言える。

そんな訳で、今朝もさる院長の夫人から電話があって、嫌味な話をされた。

「またか~」と思いながらも、既に消えていく。

そうです、訓練されてしまってるから、聞く耳あらずでした。

だけど、意地悪な人って、意地の悪さが(^^)の表情から読み取れてしまって・・・・・・
隠せないんですね・・・・・
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# by sea1900 | 2008-05-12 22:57 | 人間
5月10日に、ホフマンの『砂男』を見た。
『見た』というよりも講義を受けて、その補足としての踊りを『見た』形となった。

講義はローマ大学の学者で、踊りはその奥様に拠るものだが、奥様はきれいな体とは言え、全裸だったし、ここまでの必要があるのだろうかと思われた。

ホフマンの解説でもなんでもなくて、抽象的な話からしいて言えば、『男と女』のエロティックな話にしか聞こえなくなり、その趣旨からは全裸の女性の姿と言う物は反比例して『エロティック』では無くて、ただの『露骨さ』に変化していた。

ローマ大学から手伝いとして10人もの学生が来ていて、彼らがすごくイケメンだったのでどうもそこに『救い』を見てしまったのは、私だけだったのだろうか?

ただし、この血の通わない講義の後で、奇跡のような演出があり、ここだけが光り輝いていた。
『砂男』から『コッペリア』に変化した光のようだ。
ここだけ、血が通っていたのだと思う。

しっかりとした趣旨が表れていたので、納得。

そう思うと、それまでの序章はあまりにも退屈だと、余計に思えてしまった。
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# by sea1900 | 2008-05-12 22:49 | 男と女
私の頭の中に『苦痛』という文字があるとすると、それは趣味の集まりの人間関係だろう。
趣味なのだからあくまでも任意だし、行かなければそれでも済む話だけれど、やはり続けたいという気持ちが強いので、いつも気持ちを取り直して出かけている。

やめたい、でもやめられない。

食べたい、でも太るから食べられない。でも、食べたい!

という循環と全く同じ。



昨夜の事だった。
別の仲間の集まりがあり、夕食に集まった。大きな円卓を囲む座敷だった。
総数20名程で、女だけ。
これがまた退屈な人間の集まりなので、私は知り合いの外国好きの人と映画の話をして時間を潰していた。

その内に5.6人が酔い始めて、大声を張り上げ始めた。

私はどんどん苦痛を感じて、早めに退散。
DVDでもゆっくりと見ている方が、酒よりもグッとくるからね~
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# by sea1900 | 2008-04-06 00:49 | 現在
3月の事だった。
あるパーティでの事だった。
顔見知りの60代の女性と話し始めると、この方は、御自分の話に夢中になった。

人の話はきかないで、ひたすら話続けていた。
よくある学歴自慢、経歴自慢、経済力自慢、家系自慢・・・・・と、自慢話がネバーエンディング。

人が幸せに暮らしているんだから構わないけれど、
それにしては、その女性の表情は一体どうしちゃったんだろうと思った。

顔の表情には、その人の生き方が現れる物だと私は信じている。
何を話すにも無表情で、笑顔も無いし、年齢から来る優しさが見えてこないのだ。
そして、大学時代には、同学年の男子全員からプロポーズされたという話には、さすがうんざりした。もしかしたら、この方は大昔は、今では想像できないかわいらしさを備えていたのだろうか?何かの勘違いでは無いだろうか。

この方は、学歴、経歴、金と、家系という鎧をはずしたとき、何が残るのだろうか?



どうも他の人達は、この方を敬遠していたようだった。
少しはホステス役をしなければいけないと思って、私は話を聞いてあげたつもりの出来事だった。でも、次回は絶対に近寄らないようにするけれど。
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# by sea1900 | 2008-04-06 00:17 | 現在
最近になって、あの人は今、何処で何をしてるんだろうか
と思い近況を知りたくなった女性がいた。
それは、山口さんと言う名の女性ダイバーで、その方の存在を知ったのが大昔、とある女性雑誌上での事だったのだ。

当時、すらっとした身体に金髪のショートヘアで、ビキニが似合う人。御年のころは60才前後だったと記憶している。ダイビングを始めたのが52歳だったからある意味において、『必死』とか『ひたむき』などの言葉が似合うはず。
 
 けれど、ご本人はのびのびと楽しくて仕方ないさ~(何で、沖縄弁が出てくるのさ~)
 フィリピンのパラワン島にあるエル・ニドを紹介した人として有名かな?

昨夜遅く(大体このパターンだけれど)水中カメラマンの吉野氏のHPを流し読みしていると(写真の技術については、もうペルシャ語を聞いているようなもの。
 (ところで、友人と最近話したのは、ペルシャ語はかなり難しい言葉だと言う事だった。)
『吉野氏とは昔昔、成田空港でお話した事があって、結局は魚や写真ではなく、当時吉野氏の愛犬だったベアテッド・コリーの話で盛り上がってしまったのでした。
 要するに愛犬家同士の井戸端会議みたいなものでごあす。(鹿児島が出てきた)』
さて、氏のHPの中に登場する、『思い出深い人』の中に現在のお姿と思われる山口さんがいらっしゃいました。
 『おなつかしい限りです。』←心の中でsea1900は言いました。
 
女性は若い時にダイビングを経験したとしても、それを何十年も続ける人は男性に比べると、やはり少ないでしょうね。
 大体、『女性ダイバー』なんていう言い方自体、死語でした。
 
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# by sea1900 | 2008-02-03 14:48 | いい女
 どうしてブログの更新が途絶えてきたのかというと、このブログと私との関係を知る人が多くなってしまい、どうしても差し支えが生じてきてしまったからです。

キーで表せる事の限界を感じてしまったって言うのか?・・・そんなところです。


ひととようが、
「かわりたいよう・・犬になりたいよう・・」と犬の遠吠えのように歌っているけれど、
正に今私はそんな気持ち。


寒い風が吹いて、寒い冬の日なのに、
その犬はもう動けないのです。

5日前から友人の大型犬を預かっています。
私の方が時間の融通がつくので、癌末期のこの犬の世話に時間がかけられるからです。

ずうっと元気だったのに、首に大きなしこりができ始め、急に具合が悪くなり、案の定リンパ腺の癌でした。
手術なんて無理だし、抗がん剤治療を始めたのは良いけれど、副作用が大きくて、どうせ行く末が同じならばどちらが良かったのか解りません。

けれど、ほんの少しの時間でも地上で暮らせる事を友人は望み、
頭の中では『安楽死』を認めながらも、犬のかわいい顔を見ると、『延命』にかけたのです。


暖かい部屋の中よりも、
生きている空気の中が気持ちよいらしくて、
今はもう
風が迎えに来る事だけを、
動かない大きなびきょうでおぼろげながら感じています。

意識がどんどん遠のいているのが良くわかります。


サーフィンじゃあないけれど、
自分がどの風に乗るのかを、最後の力でさりげなく感じているのだと信じます。
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# by sea1900 | 2008-01-17 17:19 | 現在
今日は横浜に用事があったので出掛けていた。そして夜帰宅してから、昔の知り合いの男性は今如何しているかと思い、ググッてみると海外で暮していた。ホームページにあった写真からは、昔のデスクワークをしていた姿を想像できない程だ。
 やりたい事をやっと実現し、落ち着いてきたと言う雰囲気が伝わってくる。

そして、やはり海外で暮している別の男性は、2度目の離婚をしていた。
少し前までは、とても幸せそうだったのに、解らない物だと思う。
でも、また懲りずに再々婚をするだろう。一人では生きていけないタイプなのだ。

そして、また別の海外に住んで永い、知り合いの男性は、50歳を越して長男を授かっていた。

私はというと、夢を追うことなく、こうして地味~に暮している。

お金のある人も、ない人も、結婚している人も、そうでない人も、同じだけの時間を同じ地球の上で過ごしている事実には何の違いもないのだけれど、
それぞれの人の方向性は全く違う。

ある時代に接点があっただけの関係ではあるけれど、懐かしかった。
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# by sea1900 | 2008-01-03 02:28 | 現在
 「魯山人の器」は、料理の着物だという。

 お互いに上手く溶け合っていて、良い所が重なりあっている。

 適度な「間」を持ち、微妙な空間を保つ。

 書と陶芸を見事に合せて、完成を目指す。

 「多彩な作風」は特定の名人につかずに、直接、物から学んでいる。

 鍛えられた眼を信じて、物の本質を見極める力を持っていた魯山人は、
 
 本物だと思う。
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# by sea1900 | 2008-01-01 01:04 | 現在
この夏、私は恋していたようだ。
時々会って、挨拶をする程度だったけれど、楽しかった。
おそらくは、もう会う事はないだろう。
彼はこの地を離れてしまったから。


7月までは趣味の団体でよく話しをした40歳位の知人は、
只今、入院中。
もう会う事はないだろう。
心も脳も壊れてしまったからだ。


そして、1ヶ月前、若い知人は『携帯電話ゲーム依存症』になり職場をやめた。
今も一日何時間もゲームに夢中なのだろう。
夢中な時は脳みそがピシピシと動くらしい。反面、他の行動は半ば寝ているようにぼおっとして、集中力に欠ける。
 
 最初は夜眠れずに、医師からの睡眠薬を飲んで寝ていたようだ。



だけどさ、

これって、同居している親が携帯を取り上げた方が良いんじゃないかな。
と思うけれど。

ほとんど、麻薬状態らしい。

彼女は自分でもゲームに夢中になる事は、『逃げ』だと言って分かっていたのに、断ち切れない。
どうなっちゃうのかな~
重症になると、うつ病になって社会性が消えるかも知れない。

あれもこれも昔話しになっていくけれど、
これが人との別れに成ってしまうのは、ちと寂しいと思うよ。

せめて、このブログのスキン、『つぶおがいっぱい』のように
私だって『友達いっぱい』でいたいさ!
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# by sea1900 | 2007-11-27 23:38 | 現在
荒涼なるヨークシャー地方を舞台に苦しい恋愛を描いた『嵐が丘』は、何度も映画化されているが、ヒースクリフ役をレイフ・ファインズ、キャシー役をジュリエット・ビノシュが演じているのでどんな作品だろうかと思った。

今までのこの映画は、キャシー亡き後、キャシーの亡霊にヒースクリフが翻弄されるケースだったが、今回の作品は、原作にかなり忠実でありキャシー亡き後の18年後も描かれている。

前者を幽霊で締めくくった作品とするならば、後者はより現実的だと言える。

18年後、彼らの2代目の話しに及び、ヒースクリフの『愛』から発した『憎しみ』が彼の性格を歪めて、憎む事でキャシーを想っている姿に変化している。
『愛』あれば『憎しみ』が生まれ、それにしがみつきナルシスト街道まっしぐらのヒースクリフを演じるレイフ・ファインズには、狂気を感じる。
元々、ナルシーなのかレイフはとにかく上手い。
そして、気性の激しいキャシーを演じるジュリエット。
美しいだけならば話にならない役だと思う。
コケティッシュな魅力とでも言うのだろうか?

ヨークシャー地方に風を送り込んでいるのは、坂本龍一の曲だ。
木管楽器の緩やかさが哀愁さえ運んでいる。
弦楽器は伸びやかさを奏でているとすれば、木管楽器が要でもあってキュツと絞めている。

見事と言うしかない素晴らしさだ。そして、これが暗い曲ではないから更に良い。
何処となく『東洋』を感じてしまう。

作家エミリー・ブロンテは1818-1848で30歳でこの作品が世の人に受け入れられない内に亡くなっている。
もがき苦しむような辛い作品なのに、悩みぬき何よりも力強い。
この力強さは、ヨークシャー地方の荒涼なる自然と並行して、更に力強くなっている。

今、坂本龍一のUF(映画音楽)を聞いているが、映画そのものが思い出される事よりも、ヨークシャー地方という土地を想像してしまう。
それは『風と共に去りぬ』で、南部の大地が描かれていたように、不動なのは人の心ではなくて大地なのだと語ったようなもの。

最初に大地があって、最後に残るのは大地なのだという風に思える。








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# by sea1900 | 2007-11-27 23:01 | 映画

今朝起きてみると、友人から預かっていた老犬のチワワが亡くなっていました。
老衰が激しくておととい辺りからは、既に歩く事も出来なくて、お迎えが来ても可笑しくないなと思っていました。
 例えば若い犬の場合には、その1年、1年が『成長』と言う言葉で現されるのに、中年後期に入ると、そのひと月、ひと月が老いへの道となります。
そして、痴呆症になり光りを失った犬は1週間1週間で、急激に老犬に成り果てます。

今朝亡くなったチワワは、昨年亡くなった私のイカ太朗よりも1年以上年配でしたから、おそらくは90歳を過ぎていたでしょう。
大往生と言う所ですが、昨夜旅行から戻った友人に、朝返しに行った時に、もしかして生き返るとかわいそうだから、ダンボールの箱を閉めないでおくようにと言いました。

それから線香は短く折ってあげるようにと加えました。イカ太朗と友人のチワワが若い時に遊んだ事があって、その情景を思い浮かべると、当時の私の暮らしが思い出されてノスタルジックな思いに駆られました。








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# by sea1900 | 2007-11-13 21:05 | 現在
だるい梅雨が終わり、暑い8月が顔を出した。

部屋のチワワは、スイカやメロンを欲しがって、ヨーグルトに鼻を突っ込んでいる。
そういえば、最近一番驚いたのは、メールを送ってもめったに返事をくれない都内在住の友人から暑中見舞い状が届いた事で、実はひっくり返りそうになったのだった。

人との縁とは不思議な物で、ちょっとしたきっかけで知り合い今日に至っているが、この方とは今後とも細く永くゆっくりと知り合っていくのだろうか?

そういえば、最近21冊の本をヤフーオークションで手に入れ読み始めたら、思っていた内容と違っていて、昔の記憶はさほどあてにならない物だと気がついた。
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# by sea1900 | 2007-08-07 16:08 | 現在
昨日の電話を聞いて、人はあっけなく『壊れる』のだと思った。

完全な人間なんていないけれど、

『壊れている』人は何て大勢いるのだろうか・・・・・

『壊れている人』は壊れた部分を含む自身を引きずる生き方しか出来ない。

壊れてからの永い月日を思うと、残酷だと思う。



一見健康そうに見える知人の、見せなかった面を知ってしまい、

どうして、そんなに不幸なのかと思った。

良く無い事が重なって、自分だけの力では這い上がれない所まできてしまった知人・・・・・


どうなってしまうんだろうかと思うけれど、如何思っても、良い方向に進むとは思えない。

知人は、2,3週間入院したいと言う。

精神科の入院は、知人の場合、気分転換にもなり、また救いの方法にもなるだろう。

シングルの一人暮しは、楽しい事ばかりではない。

煩わしく思えても、家族がいれば、救われる時もあるはず。


おそらく、知人からの最近の電話は、

そんなS・O・Sに思えた。
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# by sea1900 | 2007-07-08 22:21 | 現在
5月の連休に市内にある精神病関連の施設のボランティアをした時のこと。

感想としては、『人間、皆同じ』って事で、精神病でもそうでなくても大した違いは無いという事だった。
昔、老人ホームで働いていた20代前半の女子は、「ばあちゃんが、可愛くて可愛くて仕方無いよ。」と言っていたが、冬眠状態のような精神病患者も、痴呆性のばあちゃんの可愛さに通ずる所があるものだ。

だけど、問題が一つあって、精神病患者は一応に臭いのだ。
毎日の入浴や着替えがきちんとなされていないからで、これには参った。
身づくろいが良く出来ないので、着替えを促しても、本人が自覚しない限り無駄な言葉になるだけ。
其の臭いは、其の身を守るかのようで、其の内に私の鼻も慣れてしまった。



そして、ごく最近。

図書館にあるPCに座ると、懐かしい臭いが横から流れてきた。
単なる加齢臭のおじさんによる物だったが、強烈過ぎた。

とても健康そうな感じがしたから、こちらは不精なのだろう。
同じ空気を共有する以上、エチケットを心掛けて欲しい物だ。

私の脳は人の臭いで疲れてしまう。。。。。









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# by sea1900 | 2007-06-02 23:32 | 人間
私は見なかったけれど、最近TVで中国のとある動物園の様子を放送したという。

そこは虎が放し飼いされていて、その中を観光客を乗せた自動車が走っていくそうだ。

それだけならば、日本にだってあるけれど、問題はその後の事。

観光客を乗せた車の屋根に乗せていたのか?

生きている牛や羊や鳥が、観光客のご要望に応じて、つまりは観光客がお金を払って、どの動物かを選び、虎のエサにするそうだ。

残酷ショーの始まりで、観客はかなりエキサイトするようだ。

この話を私に教えてくれた男性は、こういう題材の放送を問題視していた。



最近寝床で読んでいた昔のヨーロッパの残酷な話も頭を掠めたが、基本的にヨーロッパのそれとは違う。

動物の命が、『命』として扱われない。


始皇帝の時代から中国の残酷性は存在しているが、これは大陸のせいなのだろうか?

今日聞いた話は更にグロテスクで、ハンニバル・レクター博士も負ける内容だった。
思い出すのも疲れるので書けない。







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# by sea1900 | 2007-05-28 23:19 | 現在
資格を取るまでの時間は、種類を問わず大変なものだ。

何時間か前に、私に涙を見せた女子(20代前半)は自分が目的とする資格を取得するセンスがないのだと言う。

止めてしまえば一番楽だろうけれど、それでは女子の心に闇が残る事を懸念して話をした。

10分も話すと、さっきの涙は消えていた。

20代前半の若い時は、概して結論を急ぐものだ。

だけど、結論なんてあと何十年も経たないと解りっこない。
自己満足出来るかどうかが一番の問題で、人からの評価は関係ない。

センスがないなんていう言葉は、100年先に持って行け!

自分の努力不足の言い訳を探し歩いたって何処にもないさ!(←と、こんな風に言おうとも思ったけれど、ひたすら女子のそれなりの努力を褒めちぎった。)



まずは、何も考えないで集中する事。
集中できるという事がどんなに幸せな時間なのかは、後で気付くだろう。



少し自信を持ち直して顔に表情の出た女子は、庭のクレマチスの紫の向こうに去っていった。







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# by sea1900 | 2007-05-21 17:12 | 現在
最近、私は人形教室に通うのが苦痛になっている。

ここでの人間関係がうっとおしいからだ。

ある時、スタッフのおしゃべりがかなり一方的で、自分だけ話している事に気が付いた。
会話ではなくて、其の方の話をひたすら聞かされているだけだから、疲れる訳だ~。
特に私が不得意とする話は、この方のお母さんの実家の話。時間的には、タイムトンネルに迷い込んだ様な時代の話なのだ。



それで、対抗策としては、仲の良い人と連絡を取って、同じ日に通い、この方からの一方的なおしゃべりを私に向かないようにするしかないと思い、なるべくそうしている。
そうすれば、美術館関係の話はYさんに、
料理関係の話はNさんに、
政治がらみの話はKさんに振り分けられる。

しかし、そこまでしても続けたいとは思えなくなってきた。

先週は、スタッフが私に突然こういった。

「seaさんは、あまり器用じゃないよね!」
美大卒や洋裁のプロだった人の目に付く教室では、私は器用な部類には入らないだろう。それは事実としても、何たる言葉!
教えるプロの人間がそういう言葉を生徒に言ってはいけないのだ。
友人ではなく、あくまでもお金を頂く立場なのだから、生徒との一線を心の中に引いておくべきで、生徒にやる気を起こさせる義務があるのに、何てやつだ。

私の中で、この人は完全に堕ちた人と化した。

私は仕事関係で、10年以上のお付き合いがある人に対して絶対に気を緩めない事にしている。
永い付き合いともなると、どうしても『慣れ』が『緊張』や『遠慮』に勝ってしまい、相手に対する『謙遜』の気持ちが失われてしまう。

そうなると、利害関係が基にある人間関係は上手くはずがない。

お金を払う立場の人とお金を頂く立場の人は上下関係であって、其の関係が崩れると、人間関係も終わってしまうという事だ。

それから、この教室の悪い所は、古株が悪い根っこをめぐらしているので、新しく入った人を歓迎しないという幼稚さがはびこっている点にある。



私が地元でもう一つの趣味の教室に通っているが、ここでの先生達(男女)の生徒への気配りはとても優しい。
言葉使いや態度など、生徒を不快にさせる要素が全くないので、私の神経が乱れる事がない。

これが、常識的なのだろう。
という事は、お金と時間を費やして、不快な思いを背負い込んでいる自分は『アホ』としか思えない。


人形作りよりも、青木教授の講義でも受けたいと思う今日この頃だ。
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# by sea1900 | 2007-05-13 23:59 | 現在
『拒食症』と聞くと、他人事のように感じるが、他人事じゃない時代があった。

それは10年以上昔の出来事だ。

それまで胃が悪くて、胃潰瘍ぎみだった私は脂っこい物や、添加物の多い食品を食べると、
すぐに気持ちが悪くなった。
ある時、そんな気持ち悪い状態から少しでも早く脱したい一心で、食べた物を吐いた。

其の内に吐く事がエスカレートしてしまい、<食べる→吐く>と言うリズムが当たり前になり、
一つの流れとして私の脳と行動が繋がってしまった。
そして、段々と吐き方が上手になり、手間どらなくなった。
こんな事だって、やはり訓練さ。


もしも、これを食べて気持ちが悪くなったら、吐けば良い。
既に安易な考えしかなくなっていた。

食べ物に対する楽しみも何もなくなり、かろうじて身体を維持する為に食べなければ成らない。

さっきはりんごしか食べなかったのに、胃の中がつっかえている。
そんな事がしょっちゅうだった。

当時の体重は現在よりも10kg近く少ない。

一年余りの苦しみから私を救ってくれたのは、やはり医学しかなかった。


ふとあるとき、吐く事をしなくなった。
そして、荒れた胃はすこし良くなった。


吐く時は、のどの奥に指を入れ、それが合図になっていた。
食道や胃の入り口の筋肉を緊張させていた苦しみは、虚脱感しか残さなかった。








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# by sea1900 | 2007-05-07 22:28 | 食べる
人間この先どうなるかなんて解らないものだ。

昔あんなに輝いていた人が、今現在『壊れた脳みそ』に苦しんでしまう事もある。


このゴールデンウィークが、そんな人の為のボランティアになるなんて想像もしていなかったけど、ある日そういう偶然に巻き込まれてしまった。

脳みそが壊れた人は、自分では解らないのだろう。
それはそれで結構じゃないか?
哀れだと思うのは、他人の同情なのだろう。

だけど、見ていてやっぱり『哀れ』だと思ってしまう。

こういう姿を実際に見ると、「人間、やっぱりハートがよくなくちゃね!」なんて事はいえなくなるもので、身体を支配しているのは脳みそなんだと確認する。

○○氏の人形の眼のように、この人は遠くだけ見ていて,焦点が合わない。
時間がどれだけたったとしても、脳みそはそんな事お構いなしに壊れたままだ。



ただ、味覚だけは狂わずにいる。(←発見!)

そんな訳で、この2ヶ月間はボランティア弁当を作ったり、買い物に付き合ったりしていた。
特にこの連休の4日間は、弁当、ベントー、べんとうの日々だった。

脳みそが壊れると、人は人でなくなるけれど、
もしも、ホーキンス博士の様に脳みそが人並みはずれて素晴らしく活動するのに身体が自由でない人は、脳みそが壊れた人よりもつらいんじゃないだろうかと思う。











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# by sea1900 | 2007-05-06 21:53 | 現在
書くよりも読む事が面白くなり、毎日読んでいるブログ。

昔読んで封印していた『死化粧』に、最近足を運んだ。

怖い物見たさなのか、
古いヌカ床の中に残ったままのきゅうりやなすを拾わなければ成らないというような
気持ちなのか、
又は、管理者の人生に『憐れみ』と言う名のバリケードを重ねたいのか、



そのプロの書き手の様な文章は、『無駄』というリスクを感じさせないから、
ストレートにやってくる。

管理者は子供のいる主婦だが、独身時代はOLとフーゾク嬢という2足のわらじを履いていた。
内容はフーゾク嬢だった頃の話に留まらず、子供への虐待や、姉さんの事等で、
淡々と書かれている。
前に読んだ時、私は『別世界』と言うスタンプを急いで押して、自分の目の行かない方向に捨てていた。


無視する事は簡単だけれど、自分の心は整理されないままになる。

『媚』を感じない文章だからいい。




更新もなくなり、ただ記録と化したはずの文章がやけに生生しい。



夜中に読み終えた『イヴォン4世』の話より、生チョコが虫歯にとろけながらしみ込む様なある種の痛みを感じて成らない。
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# by sea1900 | 2007-05-06 01:24 | 人間