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海の上のピアニスト

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力を入れすぎないblog  それなりに暮す毎日

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知人は広い屋敷の庭に、サモエドを自由にして飼っている。
屋敷は門で囲まれているので、そういう飼い方は、紐で縛って飼うよりも遥かに良いのだが、困った事があるものだ。

今朝の事、私はその家の庭にいた。

すると、門の外を自転車に乗ってやって来た60歳過ぎのおばさんが、自分の口の中から何か取り出して、サモエドに投げた。

飴玉だった。

サモエドは喜んで飛んで行き、敷いてある砂利と同じくらいの大きさの飴玉を口の中に入れた。
あっけにとられていた私が「飴やるの~!」と叫んだ時には、自転車おばさんの姿はもうなかった。  ( 早~)

最近では、大きなおにぎりやせんべいが外から投げ込まれているようだ。

人気者の辛さとでも言えばよいのだろうか?
拝観料のつもりなのだろうか?
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by sea1900 | 2008-05-27 22:41 | 食べる
『絶対の愛』のあらすじの最初を、30代の映画を観ない女子に話したら、案の定興味を持たなかった。が、そこで偶然私の話を聞いていた年上の男性は、「面白い!」と叫んだ。

直感が鋭いと言うのだろうか。

DVDを貸して、感想を聞きたいと思った。
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by sea1900 | 2008-05-27 22:25 | 人間
キム・ギドク監督の『絶対の愛』を、昨日の早朝に観た。
そして、その重さと疲れに一日を過ごす事と成ってしまったのだ。

キム・ギドク監督の一筋縄ではいかない話の展開には、最初は新鮮さや面白さを感じる方も多いと思うけれど、終盤は救いのない暗さや絶望感のあり地獄に突き落とされてしまう。

その絶望感に浸った時のヒロインの狂気を表す事が、キム・ギドク監督にしか出来ないのだと思う。

美容整形大国の韓国という背景は、簡単に自分を変える事が出来るチャンスを与えてくれる訳で、日本人から観ると、まだまだ他人事だろう。
 お国柄というのは不思議な物で、実際、韓国では小学生にも美容整形をさせる親もいるようだ。

ごく普通の若いカップルが、交際2年も過ぎると自然にぶつかる壁に、ヒロインは美容整形をして、名前も変えて彼の前に現るが、彼の心の中に生きている元の自分に嫉妬し、悩んでいく。

『絶対の愛』という幻を追い求めたゆえに、逃げ場がなくなり、『狂気』に走るヒロインの姿には、めいっぱいに生きる女の精気さえ感じてしまう。

『愛の限界』を見極められなかった罪なんかあるはずもないし、結果としてこうなっただけの事だと思うけれど、非情な残酷な話だ。

人間の奥底にある残酷さを、これでもかと監督は生活の中に持ち出して、
最後には、観た人に判断をゆだねている。
 

非情に面白い映画でもあるし、重い。
正直な人間にしか作れない映画でもあると思うし、人間の頭脳と心のバランスを常に考えている作品だと思った。

商業ベースの韓国ドラマに対して、しっかりとした主張のあるキム・ギドク監督の映画の面白さを観る結果となったが、作品の中に度々映し出されるペミクミ彫刻公園の面白さはとても新鮮で、独特のセクシーさが良い。
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by sea1900 | 2008-05-26 00:41 | 映画
私の仕事は、金持ちと呼ばれる人達を対象とすることが多い。
例えば、会社の経営者や院長の婦人と言ったお金に自由な人達だ。

ところが、どの世界にも良い人とそうではない人がいて、金持ちでも、もちろん同じ事が言える。

そんな訳で、今朝もさる院長の夫人から電話があって、嫌味な話をされた。

「またか~」と思いながらも、既に消えていく。

そうです、訓練されてしまってるから、聞く耳あらずでした。

だけど、意地悪な人って、意地の悪さが(^^)の表情から読み取れてしまって・・・・・・
隠せないんですね・・・・・
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by sea1900 | 2008-05-12 22:57 | 人間
5月10日に、ホフマンの『砂男』を見た。
『見た』というよりも講義を受けて、その補足としての踊りを『見た』形となった。

講義はローマ大学の学者で、踊りはその奥様に拠るものだが、奥様はきれいな体とは言え、全裸だったし、ここまでの必要があるのだろうかと思われた。

ホフマンの解説でもなんでもなくて、抽象的な話からしいて言えば、『男と女』のエロティックな話にしか聞こえなくなり、その趣旨からは全裸の女性の姿と言う物は反比例して『エロティック』では無くて、ただの『露骨さ』に変化していた。

ローマ大学から手伝いとして10人もの学生が来ていて、彼らがすごくイケメンだったのでどうもそこに『救い』を見てしまったのは、私だけだったのだろうか?

ただし、この血の通わない講義の後で、奇跡のような演出があり、ここだけが光り輝いていた。
『砂男』から『コッペリア』に変化した光のようだ。
ここだけ、血が通っていたのだと思う。

しっかりとした趣旨が表れていたので、納得。

そう思うと、それまでの序章はあまりにも退屈だと、余計に思えてしまった。
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by sea1900 | 2008-05-12 22:49 | 男と女