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海の上のピアニスト

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力を入れすぎないblog  それなりに暮す毎日

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私は見なかったけれど、最近TVで中国のとある動物園の様子を放送したという。

そこは虎が放し飼いされていて、その中を観光客を乗せた自動車が走っていくそうだ。

それだけならば、日本にだってあるけれど、問題はその後の事。

観光客を乗せた車の屋根に乗せていたのか?

生きている牛や羊や鳥が、観光客のご要望に応じて、つまりは観光客がお金を払って、どの動物かを選び、虎のエサにするそうだ。

残酷ショーの始まりで、観客はかなりエキサイトするようだ。

この話を私に教えてくれた男性は、こういう題材の放送を問題視していた。



最近寝床で読んでいた昔のヨーロッパの残酷な話も頭を掠めたが、基本的にヨーロッパのそれとは違う。

動物の命が、『命』として扱われない。


始皇帝の時代から中国の残酷性は存在しているが、これは大陸のせいなのだろうか?

今日聞いた話は更にグロテスクで、ハンニバル・レクター博士も負ける内容だった。
思い出すのも疲れるので書けない。







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by sea1900 | 2007-05-28 23:19 | 現在
資格を取るまでの時間は、種類を問わず大変なものだ。

何時間か前に、私に涙を見せた女子(20代前半)は自分が目的とする資格を取得するセンスがないのだと言う。

止めてしまえば一番楽だろうけれど、それでは女子の心に闇が残る事を懸念して話をした。

10分も話すと、さっきの涙は消えていた。

20代前半の若い時は、概して結論を急ぐものだ。

だけど、結論なんてあと何十年も経たないと解りっこない。
自己満足出来るかどうかが一番の問題で、人からの評価は関係ない。

センスがないなんていう言葉は、100年先に持って行け!

自分の努力不足の言い訳を探し歩いたって何処にもないさ!(←と、こんな風に言おうとも思ったけれど、ひたすら女子のそれなりの努力を褒めちぎった。)



まずは、何も考えないで集中する事。
集中できるという事がどんなに幸せな時間なのかは、後で気付くだろう。



少し自信を持ち直して顔に表情の出た女子は、庭のクレマチスの紫の向こうに去っていった。







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by sea1900 | 2007-05-21 17:12 | 現在
最近、私は人形教室に通うのが苦痛になっている。

ここでの人間関係がうっとおしいからだ。

ある時、スタッフのおしゃべりがかなり一方的で、自分だけ話している事に気が付いた。
会話ではなくて、其の方の話をひたすら聞かされているだけだから、疲れる訳だ~。
特に私が不得意とする話は、この方のお母さんの実家の話。時間的には、タイムトンネルに迷い込んだ様な時代の話なのだ。



それで、対抗策としては、仲の良い人と連絡を取って、同じ日に通い、この方からの一方的なおしゃべりを私に向かないようにするしかないと思い、なるべくそうしている。
そうすれば、美術館関係の話はYさんに、
料理関係の話はNさんに、
政治がらみの話はKさんに振り分けられる。

しかし、そこまでしても続けたいとは思えなくなってきた。

先週は、スタッフが私に突然こういった。

「seaさんは、あまり器用じゃないよね!」
美大卒や洋裁のプロだった人の目に付く教室では、私は器用な部類には入らないだろう。それは事実としても、何たる言葉!
教えるプロの人間がそういう言葉を生徒に言ってはいけないのだ。
友人ではなく、あくまでもお金を頂く立場なのだから、生徒との一線を心の中に引いておくべきで、生徒にやる気を起こさせる義務があるのに、何てやつだ。

私の中で、この人は完全に堕ちた人と化した。

私は仕事関係で、10年以上のお付き合いがある人に対して絶対に気を緩めない事にしている。
永い付き合いともなると、どうしても『慣れ』が『緊張』や『遠慮』に勝ってしまい、相手に対する『謙遜』の気持ちが失われてしまう。

そうなると、利害関係が基にある人間関係は上手くはずがない。

お金を払う立場の人とお金を頂く立場の人は上下関係であって、其の関係が崩れると、人間関係も終わってしまうという事だ。

それから、この教室の悪い所は、古株が悪い根っこをめぐらしているので、新しく入った人を歓迎しないという幼稚さがはびこっている点にある。



私が地元でもう一つの趣味の教室に通っているが、ここでの先生達(男女)の生徒への気配りはとても優しい。
言葉使いや態度など、生徒を不快にさせる要素が全くないので、私の神経が乱れる事がない。

これが、常識的なのだろう。
という事は、お金と時間を費やして、不快な思いを背負い込んでいる自分は『アホ』としか思えない。


人形作りよりも、青木教授の講義でも受けたいと思う今日この頃だ。
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by sea1900 | 2007-05-13 23:59 | 現在
『拒食症』と聞くと、他人事のように感じるが、他人事じゃない時代があった。

それは10年以上昔の出来事だ。

それまで胃が悪くて、胃潰瘍ぎみだった私は脂っこい物や、添加物の多い食品を食べると、
すぐに気持ちが悪くなった。
ある時、そんな気持ち悪い状態から少しでも早く脱したい一心で、食べた物を吐いた。

其の内に吐く事がエスカレートしてしまい、<食べる→吐く>と言うリズムが当たり前になり、
一つの流れとして私の脳と行動が繋がってしまった。
そして、段々と吐き方が上手になり、手間どらなくなった。
こんな事だって、やはり訓練さ。


もしも、これを食べて気持ちが悪くなったら、吐けば良い。
既に安易な考えしかなくなっていた。

食べ物に対する楽しみも何もなくなり、かろうじて身体を維持する為に食べなければ成らない。

さっきはりんごしか食べなかったのに、胃の中がつっかえている。
そんな事がしょっちゅうだった。

当時の体重は現在よりも10kg近く少ない。

一年余りの苦しみから私を救ってくれたのは、やはり医学しかなかった。


ふとあるとき、吐く事をしなくなった。
そして、荒れた胃はすこし良くなった。


吐く時は、のどの奥に指を入れ、それが合図になっていた。
食道や胃の入り口の筋肉を緊張させていた苦しみは、虚脱感しか残さなかった。








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by sea1900 | 2007-05-07 22:28 | 食べる
人間この先どうなるかなんて解らないものだ。

昔あんなに輝いていた人が、今現在『壊れた脳みそ』に苦しんでしまう事もある。


このゴールデンウィークが、そんな人の為のボランティアになるなんて想像もしていなかったけど、ある日そういう偶然に巻き込まれてしまった。

脳みそが壊れた人は、自分では解らないのだろう。
それはそれで結構じゃないか?
哀れだと思うのは、他人の同情なのだろう。

だけど、見ていてやっぱり『哀れ』だと思ってしまう。

こういう姿を実際に見ると、「人間、やっぱりハートがよくなくちゃね!」なんて事はいえなくなるもので、身体を支配しているのは脳みそなんだと確認する。

○○氏の人形の眼のように、この人は遠くだけ見ていて,焦点が合わない。
時間がどれだけたったとしても、脳みそはそんな事お構いなしに壊れたままだ。



ただ、味覚だけは狂わずにいる。(←発見!)

そんな訳で、この2ヶ月間はボランティア弁当を作ったり、買い物に付き合ったりしていた。
特にこの連休の4日間は、弁当、ベントー、べんとうの日々だった。

脳みそが壊れると、人は人でなくなるけれど、
もしも、ホーキンス博士の様に脳みそが人並みはずれて素晴らしく活動するのに身体が自由でない人は、脳みそが壊れた人よりもつらいんじゃないだろうかと思う。











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by sea1900 | 2007-05-06 21:53 | 現在
書くよりも読む事が面白くなり、毎日読んでいるブログ。

昔読んで封印していた『死化粧』に、最近足を運んだ。

怖い物見たさなのか、
古いヌカ床の中に残ったままのきゅうりやなすを拾わなければ成らないというような
気持ちなのか、
又は、管理者の人生に『憐れみ』と言う名のバリケードを重ねたいのか、



そのプロの書き手の様な文章は、『無駄』というリスクを感じさせないから、
ストレートにやってくる。

管理者は子供のいる主婦だが、独身時代はOLとフーゾク嬢という2足のわらじを履いていた。
内容はフーゾク嬢だった頃の話に留まらず、子供への虐待や、姉さんの事等で、
淡々と書かれている。
前に読んだ時、私は『別世界』と言うスタンプを急いで押して、自分の目の行かない方向に捨てていた。


無視する事は簡単だけれど、自分の心は整理されないままになる。

『媚』を感じない文章だからいい。




更新もなくなり、ただ記録と化したはずの文章がやけに生生しい。



夜中に読み終えた『イヴォン4世』の話より、生チョコが虫歯にとろけながらしみ込む様なある種の痛みを感じて成らない。
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by sea1900 | 2007-05-06 01:24 | 人間