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海の上のピアニスト

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力を入れすぎないblog  それなりに暮す毎日

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かつて、私は錦鯉を飼う趣味があって、それは約10年間も続いたのだった。お金も随分とつぎ込んだと思う。本当は、海水魚を大きな水槽で飼いたかったのだけれど、海水魚は塩加減が難しくて、塩と言っても、調合してある便利な物が売られているのだけれど、やはり、飼っていた友人は、それでも大変だと言っていたのを思い出して、大きなお魚は、派手な錦鯉に限ると思い、飼い始めたのだった。
まずは、グラスファイバーで作られた大きな池を鯉屋さんにセットして貰い、これが、畳2畳弱の大きさで、ポンプや浄化層もセットして、錦鯉を何匹も買い続けて、楽しんだ。
錦鯉の月刊誌を見て、色彩の鮮やかさや、模様の面白さに、自然の美を見出したのだった。
錦鯉と言うと、何百万円もする高価な鯉を連想するけれど、実は、子供を3匹で5000円とか、1匹1000円とかで買って、餌を工夫して綺麗な色に仕上げたりした。確かに1000万円もする鯉は美しい。左右対称の身体に、美しい色彩を持ち、泳ぐ姿は、上品で美しい。
餌は、犬の高級な餌よりも、遥かに高価で、5KGで5000円とかを、良く使った。
また、乾燥えびは色挙げには、欠かせない物で、おやつの様に食べさせたのだった。

そのうちに、私は鯉に飽きてしまい、友人が世話をしてくれた。友人は、私を乗り越えて、更に鯉にのめり込んで、錦鯉に本場、新潟のおじや市にも出かけて、何を買ってきたかと言うと、鯉用の網だった。それは、この辺のペットのお魚屋では、売られていない頑丈な物で、この網で、鯉を池から吊り上げるのではなくて、鯉を見るために、水面に浮かせる為に使った。

さて、偶然ながら、近くにおじや市出身の女性がいて、錦鯉の話が出ると、盛り上がった。
農家ともなると、どこの家でも、錦鯉を飼っていて、勿論全国的に有名なプロもいるのだけれど、この女性の家では、朝食の味噌汁に、あれっ、赤い物が・・・・・と、錦鯉が実に成っている事が良くあるのだそうだ。
真鯉は良くても、錦鯉はまずそうだ。それに、シマウマじゃないけれど、切っても切っても、表面と同じ模様だったら、と思うと、金太郎飴のようで、とても食えたモンじゃないと思う。
それでも、タンパク元だと思えば、食べないのよりも良いかもしれない。

そして、ある時、鯉が病気になり、犬や猫と如何違うのかと言うと、同じ水の中にいるので、すぐに感染してしまい、あっという間に、死んでしまうのだった。それでも、その頃は、水槽を2つ並べていたので、片方に非難させて、薬をまいたりもした。偶然に知り合った、都内の鯉屋さんが、出帳してくれて、鯉に薬を注射してくれたり、アドバイスを頂いたりもしたけれど、この時には、半数位が死んでしまった。
だけど、錦鯉には気の毒だが、犬の様に呼び名も無いので、例え、死んでしまっても、ペット・ロスまでは、ならなくて、悲しさが軽く済むので、気が楽だった。

それからは、友人の熱が急に冷めて行き、残りの鯉を親戚に一つの池ごと、あげてしまった。
親戚は、とても綺麗好きで、今でもとてもきれいにして,飼い続けてくれている。
そして、家に残った池は、水を入れたままで、そのままにしていた。
でも、蚊の発生源になると良くないので、水を抜いて、池をひっくり返す事にしたのだった。

それは、おとといから始まり、暇な時にポンプを使ってやるので、まだ、半分の水が入っている。

こうして、私の錦鯉への思い出は段々と薄れて来ている。
これからは、飼う事のない錦鯉。
健康に生きたら、70年も80年も生き続けるのだから、すごいと思うけれど、結構難しいと、付け加えておきたい。

都内の鯉屋さんからは、今でもダイレクトメールが届いている。
この方は、石塚さんのように、縦、横ともダイナミックなお体だ。趣味で飼い始めたゴールデン・レトリーバーは、当時6匹位はいたのだけれど、犬と言うよりも、羊の様なお顔をしていて、実におっとりした犬だった。

時々、思い出す話でした。。。。。





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by sea1900 | 2006-04-30 23:33 | 過去

3週間位前から、友人に借りっ放しになっていた韓国ドラマの『火の鳥』は、2日前から、ほとんど寝ずに見ている。
何せ、ドラマだから永い。一枚のDVDに5話づつ収められていて、6枚あるので、30時間に近い。暇じゃなければ見られないとも、言えるけれど、ヤッパリ熱意が無ければ、見続けられないだろう。

『火の鳥』と聞くと、手塚治虫の漫画を連想してしまうが、ドラマでは、あくまで恋愛の話で、会社の存続なども絡んでいる。

愛情と執着のハザマにいる女や、いつものパターンながら、2人の男性に愛されるジウンの姿には、自分を重ねる事は到底無理だと、思いながらも、擬似恋愛を楽しめる。

ジウン役のイ・ウンジュは、飯島直子を寂しくしたようなお顔だ。
既に、突然の自殺を遂げているのだけれど。。。。

観ていながら、時々、私は、イ・ウンジュは既にいない人なのだと、自分に言い聞かせてしまう。
何が、彼女をそうさせたのだろうか?と考えると、本人にしか解らない悩みがあったとしか言え無い事になるが、遺作として映画やドラマが残り、その中では、若い命が輝いているのだから、何とも不思議な気持にさせられてしまう。

愛していると思い込んでいる女性は、やがて愛から執着に変わり、ストーカー状態に成っている。最初の上品さから一転して、ヘアースタイルやメイクが変わって、別人のようだ。そして、
イ・ウンジュよりも、見せ場が多くて、妖怪おばさんのように成ってきている。

中だるみを乗り越えて、ひたすらドロドロヘドロの様な沼地を歩くような恋愛ドラマなのだけれど、
残り、5時間をきりました。
今夜も観ます。。。。。。。


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by sea1900 | 2006-04-29 22:37 | 人間

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ロベール・ブレッソンが、監督・台本・脚色した、1944年の映画。
原作はブレッソンが愛読していた、哲学者のディドロの『宿命論者ジャックとその主人』の中から、舞台を1944年位のパリに置き換えて、映画化しているそうだ。

何と言っても、エレーヌ役のマリア・カザレスの冷徹な表情と、プライドの高さが眼に付いた。マリア・カザレスあっての映画だと思える。
愛人ジャンに振られて、「復讐してやる!」と、ジャンに踊り子のアニエスを近寄らせて、アニエスと結婚するのだけれど、結婚後にアニエスが事実上の娼婦だと知り、落胆させると言う物。当時なら、これ以上の復讐は無かったと思う。
ブローニュの森と言えば、確か娼婦がたむろするという森で、その意味からのタイトルなのだろうかと思うが、如何なのだろうか?
映画は、エレーヌとジャンのお芝居が続き、2人とも何で生計を立てているのかと言う現実は、現されていない。お金と時間の余裕のあるエレーヌが、愛情よりも、自分のプライドの為の復讐をするのだが、何故か、ヒッチコック仕立てのようだった。

「ブレッソンの神話的名作」と言う誉め言葉があるが、心理劇として考えると、一瞬の隙も無い計算されつくしているような作品だと思った。

先に観た「バルタザールどこへ行く」とは、全く、違うタイプの作品で、あくまでも愛情と嫉妬の紙一重の心理をエレーヌのナイフの光の様な眼をもって、描いていた。
どちらかと言うと、エレーヌの心情に同意出来るのは、女性だけではないだろうか?全体に、品良くまとまっているが、残酷なお話し。



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by sea1900 | 2006-04-28 23:59 | 映画
昨夜は、フォトジャーナリストの大石芳野さんによる<写真をまじえて世界各地での体験を語る>を聞いた。
日大カザルスホールは、明治大学のすぐ前にあり、綺麗なホールだった。

大石さんは、イメージよりも明るくて、綺麗な女性で、ちょっとユーモアがあった。
世界各地での、明るい顔ばかりではなくて、涙のある顔を撮り続けているが、タリバン政権下にだけは、行かなかったそうだ。一番、危険だと感じた為だろう。

昭和42年に日大の芸術学部の写真学科を卒業しているので、今回の日大春期公開講座の記念講演会の講師となったのだろう。

シャッターを押す瞬間は、無意識に呼吸が止まっているが、そうした中で、鼓動を感じながらも静止した一枚の写真の、人間の眼への働きかけは、大きい物だ。

最初の30分間を休み無く話し続け、勢力的で、前向きなパワーを感じた。前向きでなければ、世界各地に赴く事は不可能だし、カンボジアの難民キャンプやコソボ、アフガニスタン,ベトナムなどで、カメラを向ける事は、出来ない。

20年前の4月26日には、チェルノブイリ原発事故もあり、大石さんが、同じ日に講演したのも、何か繋がっていたように思う。

最後にしつこく質問を繰返す男性が出現したが、さらりと上手くまとめていて、こんな時には、その人の人間性が見える物なのだけれど、なるほどと頷かせてくれた。
人間を相手に仕事をしているのだから、当たり前でもあるけれど、なかなかの対応ぶりに、最後まで、失望と言う文字が無かった。

人は何か、産まれ落ちた瞬間から、世の中に貢献する宿命を背負っているのだとしたら、大石さんは、一枚の写真を以って、世界中の人間に訴えかけると言うボランティア的な宿命を背負っているのだと思う。まだ、女性カメラマンが少なかった時代の先駆けとして、その役割を担っていたのだから、尊敬してしまう。

久しぶりに観たこの辺りは、昔の楽しさを思い出させてくれた。
岩波ホール、また来なければ・・・・・



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by sea1900 | 2006-04-27 00:39 | 人間
エキプ・ド・シネマの三十年と言う本の中に『少女ムシェット』はあって、可哀想な話だと思っていた。
フランスのカトリック作家、ジョルジュ・ベルナノス(1888~1948)の小説『ムシェットの新しい物語』を、ロベール・ブレッソン(1901~1999)が、脚色、監督した映画。


実は、昔から何か惹かれていて、見たかった映画の一本だった。
今日、映画マニアからやっとメールが着て、このDVDを譲ってもらう事になった。
良心的な値段なので、更に嬉しい。廃盤だったりすると、元値の5倍もするDVDもあるので恐ろしいが、本当に原価と同じ位にしてくれた。

開封していないので、一度観てから感想を書いて、それからでも良いかと聞いて来たのだった。
譲ってくれる方は、映画館で観ていて、買ったDVDは無開封だったのだ。

<そりゃあ、構いません!>

今年は楽しいな♪~


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by sea1900 | 2006-04-26 00:34 | 映画
 2週間位前の出来事を思い出して、頭にきている。

それは、新宿高島屋の地下にある、鶏肉のお惣菜店の前での事だった。
たまには鳥のから揚げが食べたいと思い、3種類のから揚げを眺めて、100g160円位の一番安い物を少し買おうと思い、私の前で買っているお姉さんの注文を聞いていた。

お姉さんは、身長165cm程で、まだ寒かったのに、ノースリーブのスーツをおしゃれに着こなし、ネックレスを巻き付けていて、いわゆるカッコ良い派手なタイプの40歳位の女性だったのだ。

注文は、こっちの鳥のから揚げを500gと、あっちの鳥ステーキの様な肉を300gと、また、こっちのから揚げを500gで、領収書を書いて!と言っていた。
と、私が買おうとしていたから揚げを指差して、「残りを全部頂くわ!」と、来た。

<うーーーっ!私が買いたくて、ずうっと待っていたのに。。。>
お姉さんの左手には、重い荷物でも耐えられるキャリーカーが握られている。
<そうか、この中にから揚げや、食い物が入れられているのか!>

待っていた時間は何の為だったのだろう。。。

そう思いながら、次の週は、未練がましくもこの店が気になったが、やはり、お客がいたので、やめた。ぎりぎりの所で、諦めなければならない事が、どうも、トラウマに成っているようだ。



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by sea1900 | 2006-04-25 22:56 | 食べる

「アンジェリーナ・ジョリーは、ブラッド・ピットとの子供を、アフリカで出産するよ!」と、友人から電話を受けた。友人はCNNニュースが大好きで、時間さえあれば,良く見ている。

ブラピの前妻ジェニファー・アニストンは、離婚してから、離婚の理由を、語っていた。
ブラピは紳士で、優しく素晴らしいのに、自分が付いていけなくなったそうだ。劣等感が相手に対して生まれると、何故か、卑屈にも成りやすかったと言う事のようだ。結局、相性が合わなかったのだと思う。
愛情の形は、その時々や、年齢の変化に因っても、変わるけれど、相性は一生、変わる事はないのだと思う。だから、ジェニファーにとっては、いくらかっこ良いブラピでも、ずうっと暮して行く事は無理だったのだと思う。

アンジェリーナ・ジョリーは、難民の為の活動を前からしていて、2人の養子も育てているし、ブラピとアフリカの難民の元まで、救援物資を運んでいる。
例えば、お金をカンパしたところで、難民に実際に役立っているかは、?だ。
上層部の役人が、私服を肥やしている事は間違いないし、ボランティアは、お金だけでは済まないのだ。有名人が立ち上がると、大きな影響を生むし、宣伝にもなる。
ブラピが一回り、大きな人間として成長出来るパートナーとして、アンジェリーナは、相応しい。力関係がつりあっているようだ。
『運命の人』だと、お互いに確信していると思う。

アンジエリーナは、美しく、逞しいプロポーションで、体力もありそうだ。そして、年齢の割には、幼稚っぽく無くて、力強い。ブラピを引っ張って行く力を持ち合わせているように感じる。

ブラピが、老け顔のニコラス・ケイジと同じ歳だなんて、信じられないけれど。。。。




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by sea1900 | 2006-04-24 23:22 | 現在


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昨日の午前中に、映画マニアから送られて来た、『バルタザールどこへ行く』を観た。

1964年の白黒映画で、無彩色というのは、綺麗なカラー映画よりも、心に重くその内容がのしかかった。そういう意味では、色彩に惑わされる事無く、集中できた。

バルタザールと言う名の、一匹のロバの一生と、マリーの生き方を対比するでもなく、ただ、並行に描き、不良少年ジェラールのマリーへの思いの裏返しを、バルタザールとマリーの間に描いているような気がした。

バルタザールは洗礼を受け、次々にやって来る、決して幸せとは言えない状況を、受け止める。
この辺は、キリストの姿を連想させられる物だ。バルタザールと言う名前は、聖書に伝えられる聖者の名前だという。
全く、無駄の無いカットや、最小限のセリフで、話が流れている。
むしろ、無駄が無いから、印象的なのかも知れないし、ハラハラと、先が読めないスリルに、冷や汗が出た。そして『鋭さ』が、緊迫感を増した。


不良少年ジェラールの罪は、この映画の中では、誰にも問われていない。誰もとがめていないのだ。
フェリーニの『時計仕掛けのオレンジ』にも繋がる様な悪なのに、なぜだろうか?勿論、現在の悪にも繋がっている。『悪』は、永遠になくならないという暗示なのだろうか?

マリーの失踪、マリーの父親の絶望死、残された可哀想な母親、そして、バルタザールの羊に囲まれたラストは、とりわけ重い。羊が登場すると、何故か、神聖な物を感じてしまうのだが・・・
話全体が、厳しくて、悪や善を描きながらも、罪と罰は描かれていないようだ。

粉やとマリーの会話は全体の中にあって、別世界の様に映り、印象深かった。
粉や役のクロソウスキーが、存在感を見せている。

最初、私はロバの一生に、人の人生を重ねているのかと思っていたが、それだけではないようだ。世の中は不条理なのだとも聞こえるし、それが当然だとも聞こえる。

そして、バルタザールの眼や、足だけの動き、マリーの裸の後ろ姿等が、ぐっと突き刺さって来た。結果から想像の付く断片的な映像は、それだけで十分だ。

一から十までの説明や表現は、観ている人の思考能力を退化させてしまいそうだから。

この映画をキリスト教映画だと言えば、そうも言えるだろう。
世の中の不条理を描いていると思えば、それも良いだろう。
シンプルに、ロバの話だと思えば、それも良いだろう。

どう思ったとしても、ロベール・ブレッソンの静かな語りは、きっと、伝わるだろう。
誰にでも、きっと!








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by sea1900 | 2006-04-23 02:44 | 映画

次の水曜日には、人形歴19年の女性と会う予定なので、彼女に人形を移動する際のカバーを作ってあげようとして、久しぶりに、ミシンを出してみた。昔、買った時には、一番機能が多くて、すごいと思っていたのに、直線縫いだけ使っていた。という事は、機能が多い分、値段も高くて、20万円弱だった。この何年間かで、原価償却もしたのだから、随分高価なミシンだといえるな~

手順を間違えると、
「レバーを降ろしてください。」とか、幾つかの文章を発音する。女子アナタイプの綺麗な発音で、「ハイ!」と、乗ってしまいそうだ。
ずうっと、おりこうなミシンだと思っていた。
と、ところが。。。。。。
青いレバーを上の方に上げたのに、
「青いレバーを上げて下さい!」と、言う。
言ったら、何度も繰返して、止まらなくなってしまった。

うるさくて仕方なくなり、ついに、今日は諦めた。
おしゃべりも、ワンパターンだから能が無い。

やはり、ミシンは<黙って這うように縫う>おとなしいタイプが良いと思った。


人形歴19年の女性の作品の写真を、今日は、60代のおばはん達に見られてしまい、観られたって構わないのだけれど、可愛いとか、愛らしい、綺麗と言う形容詞からは、遠く離れていて、気持ち悪い、グロテスク、死体みたい、エロティツク、と、そんな雰囲気をかもし出しているので、これを見たおばはん達は大騒ぎとなってしまった。

「人形じゃないよ!」「なにこれ~」とか、言いたい事を言っていて、我流すぎる。少しでも理解しようとする人がいない。
きっと、60過ぎてても、色々な物と触れ合って生きてこなかったから、新鮮なんだろう。

作者は、話しやすい知的な人で、映画も音楽も好きな人。

だけど、考えたら、彼女のぞっとするような人形が、私の縫ったおくるみに包まれるのかと思うと、引いてしまう。。。。。。。(でも、明日縫います。)




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by sea1900 | 2006-04-22 00:20 | 現在
 
le monde lunatiqueさんのレヴィューに触発されて、ロベール・ブレッソンの作品を、昨夜から、ツタヤ、ゲオ、アマゾン、紀伊国屋、タワーレコードと調べ、さっき発注した。

<ブローニュの森の貴婦人たち>
<スリ>
<田舎司祭の日記>
<ラルジャン>
<パルタザールどこへ行く>
の5作品で、連休には、たっぷりと観ようと思う。でも、届いたら、すぐに観るつもり。

たっぷりと言えば、<少女ムシェット>と<ジャンヌ・ダルク裁判>は、プレミアがたっぷりと付いて、25000円以上になっていたので、諦めた。

<少女ムシェット>は、高野悦子編集の、
<エキプ・ド・シネマの30年>と言う、手元にある本の中にも収められていて、1974年に、岩波ホールで上映されていた。観てはいないけれど。。。

5作品の中で、<ラルジャン>は、スバル座で、観ている。
フランス語で、<ラルジャン>とは、お金の事。
お金がもたらす人の運命を描いていたと思うが、シンプルで、余計な演出や、音楽などが無かった様な印象があって、もしかしたら、パンフレットがあるかも知れない。

そういえば、岩波ホールにも,暫く行っていないな~
ロードショーも良いけれど、見てすぐに忘れてしまうような映画は、アイドルの歌の様だ。
芸術とはかけ離れていると思う。だからと言って、特に嫌いではない。
出来れば、心に残る映画をたくさん観て行きたいと思う。

良い映画とは、時が記憶を遮断しないのだから・・・・・

キースの、ケルン・コンサートを聞きながら、本当にそう思うよ!
これは、31年前の即興演奏なのだから。          





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by sea1900 | 2006-04-21 11:13 | 映画