ブログトップ

海の上のピアニスト

sea1900.exblog.jp

力を入れすぎないblog  それなりに暮す毎日

<   2006年 02月 ( 46 )   > この月の画像一覧

今、佐藤久美子さんのページを開き、この間の私のコメントのお返事を、読ませて頂いた。

彼女らしい文章は、まっすぐに私のハートに届いてくる物。

ところで、『恋』と言う文字の大迫力は、物凄くて、大蛇がうねっているようで、何ともすごい!

若い時の一途な恋かも知れないな~

ところで、私は小学生の時に、近くのお寺で、書道を習っていた。

特に上手くもなく、日曜日の暇潰しだったけれど、夏のお寺のひんやりとした空気は、気持ちが良くて、気に入っていた。

先生は同じ町内のおじさんで、お手本を赤ではなくて、黒い墨で書いてくれていて、私はそれに自分の名前を書いて置いた。

それを見かけた、6年生が「seaちゃんは、物凄く上手い!」と大騒ぎしてしまい、、私は訂正するのに、時間を要した事があった。

それ以来、書道と言うと、この事ばかり思い出してしまう。。。。。
[PR]
by sea1900 | 2006-02-28 16:46 | 現在
溜まりました。遊んでいる内に。。。。

昨日はとりあえず、4件片付けて、残り4件を明日までに片付けます。

2日には『白バラの祈り』を観る予定だし、明日はレイトで、『ウォーク・ザ・ライン』を観ないと
次の映画が来てしまうので、あせります。

4月26日(水)には、日大の講演会があり、フォトジャーナリストの講演があるので、聞きたいと思う。
『レンズを通して見たこと考えたこと』大石芳野氏
~写真をまじえて世界各地での体験を語る~


活き活きした写真を撮る人だから、話を聞いてみたいだけ!
女性の写真家は、リアルで、現実的な感じがする。

飽きない写真が好きだな~

d0063550_1185730.jpg



→クリック御願いします。
[PR]
by sea1900 | 2006-02-28 01:01 | 現在
昨日は小雨が一日中降り続き、一日中、HAROLD BUDDの、AVALON SUTRAと、MOZARTとフジコ・ヘミングのピアノ、ブラームス、マーラーの大地の歌を聞きながら、とても愉快な本を読んでいた。

何が愉快かと言うと、昭和30年代や40年代の話が、とても面白くて、吸い込まれるからだ。
まとめて注文した本が、新古品の為に、アマゾンではなくて、各提供者から、別々に送られているが、この本は199円で、送料が340円で、計539円也!送料が係っても、安い。


AVALON SUTRAは幻想的な曲で、丁度遊びに来ていた20代の友人に聞くと、「不思議ですね~」と言っていた。

     *    *     *

Lさん、私はコピーしましたから、CD送りました。
ビデオも付けましたので、再見して下さい。番組は良く出来ていましたね。。。。

ところで、Tさん、CDのコピーはお手元に届きましたか?
[PR]
by sea1900 | 2006-02-27 01:17 | 現在
d0063550_23213330.jpg


世界的な成功だった『パリ・テキサス』から、早20年。
ヴィム・ヴェンダース監督とサム・シェパードに依る脚本の待望の最新作


かつては西部劇のスターだったが、今や落ちぶれたハワード・スペンス(サム・シェパード)。
彼は約30年間も帰る事の無かった故郷に、ロケ現場から逃出して帰る。
逃出す途中で、着ていたウエスタンシャツやブーツ、ついでに乗っていた馬も、牧場の老人のシャツと交換して、列車とレンタカーを乗り継ぐ。
ユタ州、モアブ。古き良き時代のアメリカの姿は、馬に乗るハワードの姿が良く似合っている。

母親の住むネバタ州エルコは、これまた、田舎。
色とりどりのバラの花を抱えた母と墓地に行くと、綺麗に飾られた花は、全て造花だと、母が語る。


そして、母から自分には子供がいた事を知らされ、モンタナ州ビュートに向かう。そこは、彼がスターダムへとのし上がるきっかけと成ったデビュー作を、撮影した町だった。
撮影中に関係を持った地元のウエイトレス、ドリーン(ジェシカ・ラング)にバーで、会い、ステージで歌っているアール(ガブリエル・マン)を、貴方の息子だと知らせた。


青い骨壷を抱えた、アールと同じ年頃のスカイ(サラ・ポーリー)は、静かにハワードを追う。
何故ならば、スカイもハワードの子供だからだ。

アールの恋人アンバー(フェアルーザ・バーク)の存在感も面白い。

アールは父親の出現がショックで、自分の2階の部屋から、何もかも下の田舎道に、投げ捨てるのだけれど、投げ捨てられたソファは、この後、重要な場所となっていた。



ハワードは無責任で、若い時はどうしようも無い男だったのに、歳をとり、孤独感も抱えている。子供と言う存在が、彼の中にまばゆい光を放った事は、事実であるけれど、今までの20年以上の空白を、簡単には取り戻せないのだ。アールの完全なる拒絶は、彼をこのソファに座らせる事になった。

ハワードは、失われた時間が、すぐにでも、取り戻せると考え、ドリーンにプロポーズするが、かえって、彼女の今までの彼への無責任さや、いい加減さと言った思いを思い出させて、怒りをかう事になる。


ハワードは、撮影中に逃出しているので、撮影が困難となり、相手役の若い女優は「代役とは、キスが出来ない。ハワードでなければ・・・」と言っている。

私立探偵サター(ティム・ロス)は、撮影にハワードを連れ戻す為に彼を追っている。

時間との戦いがひしひしと伝わる中で、スカイは暖かくハワードへの、今までの思いを語る。父の写真を見て、自分に似ていないかと思い、一枚の古い写真を指でなってみたり、思いにふけったりしたと言う。
サラ・ポーリーの優しい表情が映えている。

この作品に登場する女性は、母親、ドリーン、スカイ、アンバー、共演の若い女優と皆が大地に足をしっかりと付けて生きている。そして、美しい。

ハワードは決して主役ではなくて、あくまでもエキストラなのだ。
自分では主役だと信じて疑わない彼の人生は、実は、女性達の強く、逞しい普通の生き方を知る事によって、大きな転換を迎える。

失われた時を取り戻そうとあせるハワードだが、時、既に遅し!
自分が人生で、最も大切にするべきだった、家族と言う愛の形を失ってしまったと知った時、それは逆にアールとスカイの人生も変えてしまう。

ただ、娘スカイの静かで優しい愛に出会い、乗ってきた車をアールに託し、ハワードは元の撮影現場に戻り、何事も無かった様に,また馬に乗っている。

そして、アール・スカイ・アンバーの3人は楽しそうに、ハワードから譲られた車の中で、歌を歌いながら楽しそうにドライブをしている。

『パリ・テキサス』では味わえなかったラストの幸福感は、20年経た結果のサム・シェパードとヴィム・ヴェンダースの、人生感の変化ではないだろうか?
深く熟成したワインの様に、味わいにまろやかさが出て、観ていて、『血のつながりって,こう言う事!』と、思わされた。

歳を重ねると、それまでに見えなかった物が見えて来て、また、新しい人生が始まるのだと思う。歳成りの考えや想いが、例え、一時的な混乱を招いたとしても、許せるではないか。

キャストでは、何と言っても、実生活でもサム・シェパードのパートナーである、ジェシカ・ラングの明るい強さが良い。例え、未婚でも母親に成り、お金では買えない満足感と幸福感を得た実感が、ひしひしと伝わる。<生きている人間>であり、逞しい。

スカイ役のサラ・ポーリーの素直な感覚は、同じ歳頃の男よりも、大人だと思える。

アール役のガブリエル・マンはやって来た事実を、すぐには受け入れられないで、まるで子供の様なのだが、これが面白い。

私立探偵サター役のティム・ロスは、ハワードに手錠を掛けて、車に乗せ、撮影現場に戻る時に、「外の世界は怖い!」と言うが、このセリフがやけに頭に残っている。

『外の世界』とは、サターは、世の中を指して言っていたが、含みがあったのかと考えてしまう。


自分の生きている世界の他の世界と解釈するならば、成る程!と想う。

『パリ・テキサス』でも重要な砂漠は、ここでも生きていた。
ヴェンダースは、ドイツで育ち、中央ヨーロッパでは、全てが狭くて洗練されているけれど、壮大な大地が生み出す原風景に、特別な思いをはせていた。


観た後で、暗くもならず、明るくもならずに、ただ、現実を想う事の出来る、ややもすると寂しい話かも知れない。
人の人生は、思っているよりも、そんなに悪くはないし、良くもない!

ただ、愛を持って生きる事が出来れば、それで十分に満ち足りる物だと思う。

人は人を求めて生きていく。
そんな当たり前と思える事が、とても大切なんだと思えた。



→クリック御願いします。









                         
[PR]
by sea1900 | 2006-02-27 00:40
d0063550_15481365.jpg

竹浪明氏の写真集を観ると、やはり象の姿にカンド~

パラオにもフィリピンにもいなかったし、動物園でしか,お眼に係れない貴重な生き物!

人はかつて、動物や植物と言った生き物と共存して来たのに、文明とは、そのサイクルの向きをあっという間に変えてしまっている。
近代化って何だろう?近代化のしわ寄せは、自然な流れではなくて、副作用のある抗生物質の如し・・・
副作用から、また、漢方薬や、免疫を上げて病気に成らない体力を戻す事を考えざるを得ない。そうやって、繰返す事しか出来ない人間。狂ったサイクルを元から経たなければ、本当の意味での再生は不可能ではないだろうか?

先進国が抱える問題は、破滅への一歩でもあって、恐怖と隣り合わせだ。

利益、金の為にはなんでも有りの、企業家や政治家達。堀江も同様。


人間は愚かで空しい生き物だ。
それに引き換え、生きる事だけ考える動物の姿は、そんな人間を追い越し、一段高い位置から人間を見ている。
しかし、その姿は謙虚で、おごりを知らない純粋なる物だ。気高く、真摯でもある。


自然から学ぶ事は多いし、楽しい。
そう、色彩は音楽の様に流れている。

爽やかな風を、スリランカから感じた。。。。。。。

世界って、広いんだな~と感じさせる写真達、ああ、みんな生きていると実感する今日。


ウペクシャさん、昔から幸せそう・・・・・
smileは全世界共通のコミュニケーション成り。

(ところで、竹浪氏は、スリランカの人の様な雰囲気ですわ~)
[PR]
by sea1900 | 2006-02-26 16:28 | 人間
昨日は、地元の町内会の小学生のボーリング大会だった。それで、「sea1900さん、写真を撮って!」と頼まれていたので、協力したのです。

かつて、私は一眼レフのファンで、海外に行っても、何も覚えていなくて、出来上がった写真を見て、要するにファインダー越しの世界が全てだったのです。という事は、現実を生きていないのではないかと言う錯覚(?)まで生み、考えてしまったのでした。

一番、凝ったのが『水中写真』で、サモサナイトのスーツケースの他に、これまたハードケースに入れたカメラとフラッシュを持って、大荷物で何度も通ったパラオの海の写真は、既に、2つの箪笥に入りきれない量になっています。

しかし、考えると水中カメラマンの様な写真は一枚も無くて、ハードな水中写真を撮る事は、自分には向かないと思えたのでした。

写真を撮る為のダイビングorダイビングonlyに徹するかは、やってみないと自分では判断が付かなかったので、体験して、初めて解った事です。


そんなこんなで、昔よりも写真を撮る事には、固執しなくなっていたのですが、頼まれれば、そりゃあ、撮りますわ。。。。。。。

     *     *     *     *


ボーリング場で渡されたのは、最新のデジカメで、簡単な操作。

子供のボーリングは、迫力と度肝を抜くパワーの塊で、大人には真似出来ません。レーンなんかすぐにボロボロになりそう・・・
ボールを投げるのではなくて、低学年は皆、ボールを落とすのです。それでも、ヨロヨロと、ボールは義理硬く動いて行きので、話は続くのです。
低学年の子供用には、ガーター予防のレーンもあるので、予想外に良いスコアに成ったりと、予想外の展開には笑ってしまうのです。

6年生の兄ちゃん達は、どういう訳か、投げ終わるとしゃがんでいたり、スライディングしたりと、オーバーアクションなのでした。

写真は全部で2,30枚もあれば良かったのですが、エキサイトした私は、150枚程、撮ったようでした。フラッシュタイムを逆算すると、撮りたいポーズの2秒前にシャッターを切らなければ間に合わず、投げ終わった後の,脱力感ポーズが多く撮れていたようです。


150枚の内、まともな写真は1/3も無いのではないかと思うのですが、熱中出来た私は、久々の充実感を味わう事が出来て、満足!



低学年のレーンでは、一年生の女の子を心配して、若いママが付き添い、ほとんど、ママが投げている訳で、そのボールが勢いで、隣の誰もいないレーンを転がって行ったのです。
暫くすると、係員がボールを回収に来ました。


すると、3年生の男の子が私の所に来て、
「俺さ~!となりに投げる人って、初めて見たよ~!」

私は「私だって、初めて見たよ~!すごい事だよ!」と、2人でひたすら感心。

昨日のオチでした。





→ボールが転がる様に、クリック御願いします。
[PR]
by sea1900 | 2006-02-26 15:30 | 人間
都内のデパートで開かれている『創作人形展』を見た。

このタイプの人形展を見るのは、初めてだった。

人形その物は、皆丁寧に作られていて、洋服や和服も、良く見ると、作りは丁寧だ。ビーズを縫い付けたり、アクセサリー類で飾ったりしている。

しかし、一つ一つの人形と、全体的なバランス、特に人形の配置や色彩の組み合わせがぐちゃぐちゃで、何とも、土素人っぽい。<垢抜けない>どころか、完全に美しくない。


展示の方法として、色彩を統一しないと、ボロキレを散らかしたように見えて、実に汚い物だ。
この点は、トップの人間のセンスに係っているだろう。統一性が無くて、構成が悪い。
一つの舞台として見ると、良く理解できる。
おしゃれなブティクでも良い。一枚の絵でも良い。
全体的なバランスは、一番眼に付き、第一印象を決めてしまう。
例えば、他人の家の玄関に入って、その家の住人をどういう人かと想像出来る様な物。


それぞれの作者が、場所を確保して、勝手に自分流に置いている様に思えて成らない。


また、ぐるっと見て回ると、作者のおばちゃま3人がお話しに夢中で、通路を塞いでいた。
私が、見たいのに、、どんとその場を譲らない。
この姿勢が、私は大嫌いなので、腹が立った。

どうも、男性よりも女性に多く見かける事が多いけれど、他人への配慮の無さに常識を疑ってしまう。
「・・・・意外にも、この人形が売れて嬉しい!」なんて、内輪の話が続いていた。

この人形展では、プライスがそれぞれに付いていて、大体の人形が2桁だった。
安くても3万円位からなのだが、値段については、作者の自由だが、売り物なら、客に売る姿を見せるべきなのだ。
客あっての、プライスではないか!

プライスなりの接客が出来ないならば、販売とは言えない。

物を売ると言う行為は、既にプロに成ると思う。展示だけならば、アマチュアだから、多少の事は仕方ないと思う。2つを隔てるラインは甘くはないし、ラインが存在して当たり前の事だ。

ここをごっちゃにするから、展示方法もごっちゃに成っている。

全部、関係あるわけで、『何事もバランスが大切!』なんて思ってつくづく、、私はプロの仕事が見たいと思った。





→色彩センスには、こだわりたい方は、クリック御願いします。
[PR]
by sea1900 | 2006-02-26 14:15 | 人間
おなじみ、『きっこのブログ』が週刊誌にも取り上げられている。

私はほぼ、毎日読んでいるが、ほぼというのはマックスの話はパスしているから
なのだ!(笑)

ところで、きっこさんの本当の姿に対しては、色々な憶測を呼んでいる。
専門家が過去5年間の記事を読むと、明らかに一人の女性が書いた物だと
書かれていたが、私は腑に落ちない。

きっこさんは、自分の本名を明かしていて、じゃあ、その名前が○○公認の
メイクUPアーティストの中に存在するかと言えば、調べてみるとNOだったそうだ。
あくまでも、売れりゃあ、お得な週刊誌に書かれていた事だから、信憑性の高さは
不明でもある。

きっこさんの記事を読むと、計算された流れを感じたり、じゃあ、それ位は、永く記事
を書いていたら、十分に考えられる事だと言えるけれど、どうして、確信に迫る事件の
真相を早く知っているのかと思うと、不思議だ。

例えば、その筋に詳しい友人とかがいれば解るけれど、もしかしたら、原案を書く人が
いて、その話に基づき、肉付けや、話の構成が組まれているのではないだろうか?

顔写真なんて、当てにはならない。

和歌や英語の記事の方は、単に目先を変える手段にしか過ぎないのではないか?

TBとコメがもしも出来ていたら、きっこのブログは、これらに忙殺され、継続でき
なかっただろう。ここの所も、良く心得ている。
要するに、最初から計算されている感じが強いのだ。

去年の冬の記事に、部屋の中の暖房が無いので、<吐く息が白い>とか、米が買えない
貧乏状態と言うのがあった。
それで、読者から米や野菜の差し入れがあった事が書かれていたが、これも何だか
???と思うのだ。

謎が謎を呼びながら、良く考えれば考える程、不思議な点が、それこそUPしてくるのだ。

<・・・くるのだ>とは、きっこさんの口癖だが、これは、男性でも書ける物。
もしかしたら、男女チームが書いているのかも知れない。
シビアな記事を簡単な口調に変えて書くなんて、もしも、プロライターなら簡単だろう。


ランキングについても、不思議に思う。
これはいつからTOPに躍り出たかにも依るのだが、検索に引っかかり易い単語を心得て
いたのだろう。

社会現象まで、引き起こした<きっこのブログ>がこの先、どんな展開を見せてくれる
のか楽しみだけれど、疑問の種も、私の中では育ちそうだと思ってしまう
今日この頃なのだ。





→クリック御願いします。
[PR]
by sea1900 | 2006-02-25 03:25 | 現在
d0063550_2441123.jpg


                  (写真は、竹浪氏による物です。)

名倉亜矢子さんに依る、ゴシックハーブと歌は、思っていたよりも楽しかった。

<ゴシックハープ>とは、800年も昔に演奏された小さなハープで、実物が保存
されていない為に、当時を描いた絵画を見て、ハープを作る人が製作していると言う。

ひざの上に乗せられる小さなハープの音色は、まるで中世。

名倉さんの歌は、ゴシックハープを爪弾きながらの、スペインの中世の歌から
始まった。
中世の歌と言うと、昨年聞いた内藤明美さんの、実にまろやかな中世の歌も素晴らし
かったけれど、音質的には、私は名倉さんの方が好きなので、もう少し、聞いていたかった。


内藤さんのコンサートの時は、その後の非常識なおばさんの出現で、中世を堪能出来た
ほんわかした気持ちを中世の牢獄にぶち込まれた如くに、変換して頂いてしまったのだった。

あの時から、私は、コンサートの後は、<早く帰るに限る>と思っている。
[PR]
by sea1900 | 2006-02-25 02:40
夜7時半からは、予定通りに澁谷のアップリンクファクトリーで、短編3作品と
名倉亜矢子さんに依るゴシックハーブの演奏会を楽しんだ。

作品は『水宮の丘の上』『秋の浮き輪』『隣室』と続いた。

『隣室』は、一番肩の力が抜けて、自然体を感じた作品だと思う。
女優の若い女性では、バトンガールの茅野小百合さんの笑顔が活き活きとしていて
他の方を抜いていた。

どうしても、顔の表情のある女性が好きな私の、贔屓目という事だけれど。。。。
自分のBlogなので、好きに書いてみたい。


音楽も『隣室』で使われていた電子オルガン(?)の音が、作品の流れと上手く
溶け合っていて、一番すんなりとしていた。
これは、佃良次郎氏の物なのかは、知らない。

音楽と映画とのバランスは、映像よりもインパクトが強く、脳に刻まれる物なので、
大切な要素と成っている。

そう言えば、今現在聞いているのが、先に書いた『新日曜美術館』の中の、小村雪岱
の時に使われた曲で、Harold buddのアルバムなのだけれど、番組とナレーター
の声質、そしてこの曲と軽快、かつ神秘的・幻想的に3拍子が上手くとられ、文句の
付け所がない。

どうも、最近では音楽ばかりが気になり、リズムが全てをまとめているように思えて
成らない。音楽の追求は、絵画のそれとは、根本的に違うようだ。
[PR]
by sea1900 | 2006-02-25 01:57 | 映画