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海の上のピアニスト

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力を入れすぎないblog  それなりに暮す毎日

カテゴリ:人間( 186 )


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私がブログの方でリンクしている人のページに、好きな本として、『奇子』(あやこ)があって、ずうっと気に成っていた。
チャンスはやってくるもので、この間、約100冊の本をbook offに持って行った時に、カウンターごしに、入荷されたばかりの『奇子』の上下があったのだ。
今日はPCを使う仕事をしていて、以外にも時間がかかり、飽き飽きしたので、そっと読み始めた。

手塚治虫の作品は、文部省推薦ランクな物が多いと思っていたのに、之は異質と言えるだろう。
戦後間もない頃の、東北の田舎にある旧家の農地解放後の姿や近親相姦、殺人などが絡んだ、非常にダークな物だった。
奇子の姿は、ダークな中では、最も核をついている。表面的な話だけを考えると、手塚治虫は戦争がもたらした日本の姿を書き留めておきたかったのだと思った。
 リンクしている人の好みを思うと、なるほどと思う。

人形の先生S氏と、戦争の話をした時に、
「もしも、日本が勝っていたら軍が強くなって、如何しようも無かった」と、S氏のお母さんは話すと言う。
「戦争は勝つ事に意味がある。」と、私の父は言っていたが、もしかしたら、強力な軍治国家が出来上がっていたかと思うと、やはり、これで、良かったのだと思う。(思うしかないだろうって!)



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by sea1900 | 2006-05-16 01:17 | 人間


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4/26~5/8まで、松屋銀座で、熊川哲也と彼のKバレエカンパニーの展示会が開かれていた。
私は、偶然に8日に観た。
クラシックバレエの良さは、何と言っても美しさに在ると思う。
1999年に熊川哲也は自ら芸術監督を務めるKバレエカンパニーを設立している。
そして、完成度の高い舞台により、多くの観客の心を捉えて、年間約60公演、観客動員10万人以上という世界でも稀なる成果を得ている。
彼は、今やプリンシバルではなくて、タレント。

古典バレエの『眠れぬ森の美女』『白鳥の湖』『くるみ割り人形』『コッペリア』その他のバレエの
舞台装置、衣裳、装飾具などが展示され、見学者はほとんど女性だった。
そして、皆、一様にDVDを見ている。練習風景も流れていて、これは白黒だったから、余計に綺麗だった。(汗も飛んで来たし・・・・)

私はチャコットで作られている衣裳、特に女性物をゆっくりと見て廻り、溜息をついた。
細部にまで、細かく作られていて、バレエだけではなく、これも芸術作品だった!



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by sea1900 | 2006-05-15 00:13 | 人間

一昨日、東京駅の八重洲口の地下を歩いていると、明らかにホームレスに成りかけの70歳前後の女性を見かけた。都内では、女性のホームレスを何人か見かけたが、男性ホームレスとは違い、同性としては、やはり気の毒に思える。
如何して、ホームレスなんかに成ってしまったのだろうと思ってしまうが、見過ごすだけだ。
男性のホームレスは、実は会社の倒産などに因って出来た借金から逃げる為に、最終的にホームレスに成っている場合が多いと、地元の警察官は言っていたが、女性は、大きな借金を抱える人は多くはないだろう。
女性の場合は、男運の悪さも在るのではないだろうか?
そう思うと、まだまだ、女性は低次元の生き物の様に思えて成らない。まるで、ユルマズ・ギュネイのトルコ映画に出てくる、女性のようだ。

アメリカの様に、中流家庭がある日、病気のせいで、急にホームレスになってしまう恐怖が、まだ日本ではないけれど、いつの日か、現実にならないと言う保障も無いのだから、油断大敵なのだと思う。

ところで、(昔どこかに書いたけれど、)主婦が書いている『捨てる!捨てる!』と言うようなブログがあって、毎日、何か捨てた物を書いていた。
例えば、今日は子供の要らない上履きだったり、戸棚の中の古い茶碗だったりと、捨てた物を書いていた。

人は物を集めて、物が溢れると捨てる。
ホームレスは、物をひたすら集める人が多い。

物は人に安心を与えるけれど、反対に迷いも残している。


最近、持っていた本,約1000冊を捨てた60代の女優がいたが、私は最近、100冊位の本をBOOK・OFFに持っていった。そして、半分位の本が買い取り不可能と宣告された時に、その中の2,3冊を手に取ると、なぜか、ほっとしたのだった。


『捨てる』と、『拾う』は、文字も似ている。
そして、大きな輪の様な繋がりの中で、互いに調和の取れたバランスが保たれる時が、一番人間らしい精神状態なのではないだろうか?





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by sea1900 | 2006-05-14 01:09 | 人間


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昨日は、イングリット・フジ子・ヘミング 特別ソロリサイタルを堪能した。

場所は、すみだトリフォニーホールで、錦糸町の駅で降りて、歩いてすぐだった。

フジ子氏のコンサートは、チケットが手に入りにくく、Eチケットで、素早く抑えたので何とか手に入ったのだった。
普段から、私はリストとショパンを弾く彼女のCDを聞いているが、生の音色はやはり、素晴らしくて、『ピアノを弾く』のではなくて、『ピアノに歌わせる』事の出来る稀な天才なのだと思った。

最初、10曲のショパンの曲を、休む間もなく、弾き続けて、20分間の休憩と成った。
私の席は、2階のバルコニー席で、シュタインウエイのグランドピアノのピアノ線の動きが見える。
フジ子氏は、良く在るようなドレスは着ないで、いつも個性的なファッションだが、今日は、明るいブルーのジャケットに黒いパンツ、濃いブルーのオーガンジーのスカート風を巻いて、明るくて綺麗だった。

第2部は、リストとショパンについて、その華麗なる人生を、頼近美津子さんの朗読とコメントを折込ながら進んだ。

頼近さんの落ち着いた声は、ピアノの音色に合っていて、さすがにベテランの風格!ゴールドのドレスが良かった。

リストとショパンは年齢も一歳しか違わずに、友人関係ではあったけれど、ジョルジュ・サンドを愛したショパンと比べて、リストは奔放な愛を貫き、長寿だった。ショパンは持病もあったけれど、ジョルジュと7年間の愛を終わりにしてから2年後に39歳で亡くなっている。

パリでは、モンマルトルとサン・ルイ島の両方にピアノが置いてあり、更に難しい曲に挑戦しているフジ子氏は、幾つになっても前に進まなければならないから、難しくても諦めないと、彼女の著作『わが心のパリ』では、語っている。
才能とは、努力する事の出来る天才を言うのかも知れない。
ありきたりのピアノは弾きたくないから、いつも自分なりの音色を出す為に苦心していて、観客があくびするような、つまらない音楽にはしたくないそうだ。

上の階に住んでいる弁護士夫婦に、「いつも素晴らしいピアノをありがとう」って、言われた事があるそうだ。
生演奏を生活の中で、聞く事が出来るんだから、羨ましい。


多くのピアニストの中で、ピアノを知らない人でも、何か感動出来る物を持っているフジ子氏の演奏は、彼女の努力の賜物でもあるけれど、例えば、人形を作っていても、作者と人形が似てくる事実を思う時に、表現者としての、その人の内面が現れ、見透かされてしまうのだから、魅力とは、その人の作品ではなくて、実は、本人にあるのだと思える。物を媒介としているだけで、本当は自分を表現している。
見栄やウソのない、実直な人柄は、その通りの演奏をするのと同じだ。


第二部が終わり、鳴り止まない拍手に応えて、フジ子氏は、リストの『パガニーニによる大練習曲6番』と、モーツァルトの『トルコ行進曲』をピアノに歌わせた。
この時に、初めて彼女の肉声を聞いたが、思っていたよりも高めの声だった。
彼女の手に係ると『トルコ行進曲』は奥の深い味わいが加わった。

第二部の衣装は、金色の刺繍(?)のある紫色のジャケットに、黒のオーガンジーのスカート風で、第一部の衣装とは違って、シックだった。
何よりもカッコ良いのは、貰った花束から一つだけ、自分が持って行き、残りはピアノにあげた事。
『ピアノに感謝!』と言う粋な心が思われたのだった。

いずれ、天国で、ショパンやリストには会える。
一人でも多くの人に、感動を伝える宿命を背負って、ピアノに対して、生き物の様に接する人。
ピアノを制するのではない。
何て、カッコ良いんだろう!
数少ない、本物と言える人だと思う。





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by sea1900 | 2006-05-13 00:03 | 人間
yahooのニュースに、マドンナ「私はひどい母親」と書かれていたので、読んでみると、有名人の悩みが書かれていた。娘は9歳になったんだ~。
マドンナが普通に暮したくても、マスコミはそれを許さないのだから、子供の親としては、迷惑な話で、今後の子供の性格形成が問題になるだろう。

アメリカでも、日本でも有名人の子供達は、親の七光りを利用して、スムーズに生きられる場合もあれば、そうでは無い場合もある。
育て方で、子供はいくらでも変わっていくとも思うけれど、環境も大きい。

知人は、<何事も親が悪い>と、親に100%の責任がある事を,強調するが、私は100%は多すぎないか?と思っている。
親が子供を理解出来ない部分もあるはずで、その部分をどうしたら良いのだろうか?
親だって、完全な人間ではないのだから、子供と一緒に育って行かなければならないのだろうし、常にそう考える事も必要だと思う。
そして、必ず、協力者が必要になると思う。


実は昨日、友人がアメリカで暮していた時に、知人の主婦が、まだ産まれて3ヶ月位の赤ちゃんを、近くの池に投げてしまい、赤ちゃんは死んで、裁判となったそうだ。
アメリカの場合は、例え、ノイローゼの母親だったとしても、そんな事は考慮されないで、判決は厳しくなるそうで、良い弁護士を雇い、お金を積んだと言う。
積むお金が無かったら、もっと罪が重くなるわけで、これは、金持ちにしか優位ではない話になる。
日本での、保釈金制度も変だ。
お金が無かったら、保釈もされないし、保釈金はいずれ、返されるのだから、金持ちだけが得をしているのではないか?





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by sea1900 | 2006-05-11 02:22 | 人間


先週、私はプリーツ・プリーツの服を買った。プリーツ・プリーツは、三宅一生が特許を取ったポリエステルの生地を使って作られた服で、プリーツが微妙に動く人の体に反応して、不思議なラインを作り出しているし、化学繊維なので、発色が良い。
年上の友人が、プリーツ・プリーツの大ファンで、既に200枚以上を溜め込んでいて、組み合わせが自由なので、あれとこれ、あっちとこっちと、全く自由に決められるので、応用が利く点が良い。友人はプロポーションが綺麗なので、プリーツが綺麗に伸びて、体をラセンが巻いているような感じに成っている。
それを見る度に、私には無理だと思っていたのだけれど、ふらりと入ったプリーツの店で試着したら、何とぴったり!自己満足だった。自分に似合うカラーは決まっているので、その色を中心にして、更にコーディネートを続けて、何枚かを買った。法事にも、着られると思い、黒の上下も買ったけれど、これは、今思うと、黒と言っても、余りにも目立ちすぎるようだ。それに、おばから「見てると、眼が回りそうだ!」と言われそう!なので、上下を別にして、着るしかない。
紺色が主体で、黄色やオレンジのぼかしが入っているプリントのカーディガンとパンツのセットを、家に帰ってから着て見ていたら、来ていた親戚の子供が、「ヒェーッ!如何したの?」と、引いてしまった。

良く見ると、ホステスの様な、ホストの様な、派手な人になっていた。
それで、一昨日は、このカーディガンに黒いパンツなら目立たないと思い、その格好で、表参道の夜道を歩いていたら、向こうから、魔法使いの様なおばあさんがやって来たのだった。こういう時には、何か感じる物で、おばあさんは、赤い帽子をカブって猫背だったけれど、何かちょっと、怪しげな雰囲気だった。
春だからね~!

そして、アッと気が付くと、何とおばあさんが着ていたのは、私と同じカーディガンだった
のだ。私のよりも、長めに出来ていたので、少し重そうだったけれど、正しく、同じプリーツ・プリーツの同じプリントのシリーズだった。

同じ服を、自分よりもカッコ良く着ている人を見るのは、同じショックでも、触発されるけれど、如何見ても、不思議な雰囲気の人の、不思議な着こなしを見てしまうと、ショックなんて物じゃない!
おばあさんは、どこに向っていたのだろうか?(と、別に関係ないけれど)
森の奥深くにある、ログハウスの様な気がするけれど、そんな物、あの辺りには無いのだから、きっと、青山墓地だろうか?

昔から天然繊維の服の好きな私が、こうしてポリエステル素材の服を着るようになったのは、合理性を求める歳のせいなのだろうか?洗濯も洗濯機で出来るし、すぐに乾き、虫も付かない。そして、鮮やかなお色。。。。旅行に最適。
どうも、昔、敬遠していたポリエステルのプリントの服は、身近になったようだ。
例え、三宅一生でも、ポリエステルには変わりないので、私も「ポリプリ軍団」の正会員になったようだ。



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by sea1900 | 2006-05-07 00:08 | 人間

先日、特殊な仕事をしている知人と話していると、彼は、仕事の愚痴をこぼし始めた。
何の仕事でも、仕事となると大変で、それで、お金を貰っているのだと思うと、当たり前だと納得しない訳には行かない。大人になると当たり前の事だけれど、こうして、私よりも遥かに大人の彼がまさか、私の前で愚痴をこぼすのかと思うと、意外だったし、<正直なんだな~>とも、思えたのだった。
アマチュアとプロの違いは、その仕事で、食っていかなければ成らないという事。
当然ながら、アマだと許される事も、プロだと許されないのだし、厳しいけれど、プロならではの楽しみや充実感を味わえる。

どちらにしても、好きな事を仕事にして、食って行ければ最高と思う。

でも、愚痴は性別を問わずして、その人が現れてしまう。吐き出した分だけ軽くなったのなら構わないけれど、私なら、軽くならないので言わないかな~。それとも、吐き出す程の愚痴がたまっていないのだろうか?


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by sea1900 | 2006-05-03 18:50 | 人間
深夜、「火の鳥」の25,26話を観終わって、今日友人にやっと返した。

20歳の頃、情熱で結婚したけれど、現実の生活に疲れて離婚した男女の10年後、更にその3年後を描いた韓国ドラマで、ラストをハッピーエンドで締めくくらずに、あくまでも2人を並行線で保っていた。中だるみもあったけれど、時間をかけた設定が良かった。

イ・ウンジュはノイローゼだったかもしれないが、何も自殺する事は無かっただろうと思う。
人の幸せの満足度は、計り知れないけれど、そこまでイ・ウンジュを追い詰めた物は何だったのだろうか?と思う。
ただ、彼女はこの世の人ではなくなっても、映画やドラマの中では、色々な女を演じていたので、、それが見る人の脳裏に残って行くだろう。

生き物の寿命は必ずあるので、静かにその日を迎えるという方法に、大多数の人は従っているのだが、時々、短気を起こす人もいるってことなのか?

昨日のアトリエでは、お墓の話が出たのだった。
それで、私が骨の粉を海に撒く、「散骨は、すごく書類上も大変だよ!鳥葬が一番良いかもね!」と言うと、鳥も贅沢で、完全に食べてくれる訳ではなくて、残りがあるそうだ。正に生ごみ!



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by sea1900 | 2006-05-02 16:16 | 人間

3週間位前から、友人に借りっ放しになっていた韓国ドラマの『火の鳥』は、2日前から、ほとんど寝ずに見ている。
何せ、ドラマだから永い。一枚のDVDに5話づつ収められていて、6枚あるので、30時間に近い。暇じゃなければ見られないとも、言えるけれど、ヤッパリ熱意が無ければ、見続けられないだろう。

『火の鳥』と聞くと、手塚治虫の漫画を連想してしまうが、ドラマでは、あくまで恋愛の話で、会社の存続なども絡んでいる。

愛情と執着のハザマにいる女や、いつものパターンながら、2人の男性に愛されるジウンの姿には、自分を重ねる事は到底無理だと、思いながらも、擬似恋愛を楽しめる。

ジウン役のイ・ウンジュは、飯島直子を寂しくしたようなお顔だ。
既に、突然の自殺を遂げているのだけれど。。。。

観ていながら、時々、私は、イ・ウンジュは既にいない人なのだと、自分に言い聞かせてしまう。
何が、彼女をそうさせたのだろうか?と考えると、本人にしか解らない悩みがあったとしか言え無い事になるが、遺作として映画やドラマが残り、その中では、若い命が輝いているのだから、何とも不思議な気持にさせられてしまう。

愛していると思い込んでいる女性は、やがて愛から執着に変わり、ストーカー状態に成っている。最初の上品さから一転して、ヘアースタイルやメイクが変わって、別人のようだ。そして、
イ・ウンジュよりも、見せ場が多くて、妖怪おばさんのように成ってきている。

中だるみを乗り越えて、ひたすらドロドロヘドロの様な沼地を歩くような恋愛ドラマなのだけれど、
残り、5時間をきりました。
今夜も観ます。。。。。。。


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by sea1900 | 2006-04-29 22:37 | 人間
昨夜は、フォトジャーナリストの大石芳野さんによる<写真をまじえて世界各地での体験を語る>を聞いた。
日大カザルスホールは、明治大学のすぐ前にあり、綺麗なホールだった。

大石さんは、イメージよりも明るくて、綺麗な女性で、ちょっとユーモアがあった。
世界各地での、明るい顔ばかりではなくて、涙のある顔を撮り続けているが、タリバン政権下にだけは、行かなかったそうだ。一番、危険だと感じた為だろう。

昭和42年に日大の芸術学部の写真学科を卒業しているので、今回の日大春期公開講座の記念講演会の講師となったのだろう。

シャッターを押す瞬間は、無意識に呼吸が止まっているが、そうした中で、鼓動を感じながらも静止した一枚の写真の、人間の眼への働きかけは、大きい物だ。

最初の30分間を休み無く話し続け、勢力的で、前向きなパワーを感じた。前向きでなければ、世界各地に赴く事は不可能だし、カンボジアの難民キャンプやコソボ、アフガニスタン,ベトナムなどで、カメラを向ける事は、出来ない。

20年前の4月26日には、チェルノブイリ原発事故もあり、大石さんが、同じ日に講演したのも、何か繋がっていたように思う。

最後にしつこく質問を繰返す男性が出現したが、さらりと上手くまとめていて、こんな時には、その人の人間性が見える物なのだけれど、なるほどと頷かせてくれた。
人間を相手に仕事をしているのだから、当たり前でもあるけれど、なかなかの対応ぶりに、最後まで、失望と言う文字が無かった。

人は何か、産まれ落ちた瞬間から、世の中に貢献する宿命を背負っているのだとしたら、大石さんは、一枚の写真を以って、世界中の人間に訴えかけると言うボランティア的な宿命を背負っているのだと思う。まだ、女性カメラマンが少なかった時代の先駆けとして、その役割を担っていたのだから、尊敬してしまう。

久しぶりに観たこの辺りは、昔の楽しさを思い出させてくれた。
岩波ホール、また来なければ・・・・・



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by sea1900 | 2006-04-27 00:39 | 人間