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海の上のピアニスト

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力を入れすぎないblog  それなりに暮す毎日

カテゴリ:映画( 228 )

昨日は『フラガール』を見て、邦画の温かさを感じたが、その思いは、今日見た『戦場のアリア』と『美しき運命の傷痕』 < inギンレイホール>に、打ちのめされてしまった。
2本見た後で、へとへとに成っていて、ヨーロッパ映画には、映画として考えるとやはり敵わないと思えたのだった。

ギョーム・カネの存在感はどこから来るのだろうか?
彼は、下の兵隊の中の真ん中の人で、フランスの中尉役。

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by sea1900 | 2006-09-25 22:36 | 映画
つづきです・・・

女優達はフラダンスの練習にも、随分夢中で取り組んだと思う。松雪泰子は、一日に少なくても6時間は練習したらしい。高校生の紀美子役の蒼井優は、最初はまどか先生が踊っていたダンスを最後には、踊っているが、やはり、練習には時間を掛けたと思う。
手話的な要素を含むフラダンスは、手の動きに意味がこめられていて、いわきの町から東京に帰ろうとするまどか先生を止めるのに、電車のガラス越しに紀美子は覚えた手話で語っている。

松雪泰子の気性の激しさが、見事に、まどか先生と重なり、一度失った情熱を、この田舎町で、再燃させ、ダンスを教えた事で、人の温かさを教わる。

対する蒼井優は、ひたむきに踊る事を覚えて、自分の人生を切り開いてゆく。
しずちゃんは、他の女優より頭1つ以上高い182CMの身長を上手く使った役を、素朴に演じていた。

いわき弁って、早口に成ると、何が何だか解らなくなる。
蒼井優は、小さな身体とかわいい顔なのに、大声で、いわき弁を話すとすごい迫力で、頼もしい。
方言の面白さが多分にあって、この映画は成り立っているのだ。

人の前で、露出度の高い衣装を着て踊る事が、まだまだタブー視されていた40年も前に、人々がこの町に留まって生きてゆく為の手段として選び、努力した事は、この町の人々の心を固く結びつけたのだった。
とにかく、笑えるダンス映画だった。



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by sea1900 | 2006-09-25 22:20 | 映画
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福島県いわき市にある『常磐ハワイアンセンター』が、どうして設立されたかと言うと、炭鉱町だったこの町が、今から約40年前に、閉山に追い込まれたからだった。
実際に、閉山したのは、ハワイアンセンターの設立から10年後だったそうだ。

映画の中では、どうしてハワイなのか?と言う事には、触れていないが、おそらく、この時代には
<ハワイ>が憧れの楽園と言うイメージが強かったからだろう。
楽園に、一歩足を踏み入れると、そこには、若い女性のフラダンスが、情熱を持って出迎えてくれる。
映画は炭鉱町の町おこしでもあって、それまでは、命を掛けた炭鉱の仕事しか知らなかった若い女性に、命を掛ける事はないが、見た人に、喜んでもらえるという明るい仕事を教えたのだった。そして、彼女らにダンスの指導をしたまどか先生は、現に70歳を過ぎた今でも、ダンスの為にこの町に住んでいるそうだ。



つづく・・・・・・
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by sea1900 | 2006-09-24 23:15 | 映画
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深刻に考えさせてくれる映画も良いけれど、何も考えなくて楽しい思いだけが残る映画も、また好きだ。
『バックダンサーズ』とは、文字通り、歌手の後ろのダンサーの事で、4人のダンサーが主役のジュリの引退後、ダンサーだけのライブにこぎつけると言うお話。難しいお話は何も無くて、ダンスシーンを楽しめる青春映画だった。

アメリカのダンス映画から比べると、まだまだ、子供っぽさが抜け切らなくて、可愛い物だが、日本でもこうしてダンス映画が作られるように成ったのだと思うと、今後に期待したい。

つのだひろや、陣内孝之が適役で、音楽に真実味を加え、4人のダンサーに扮する若い女優の中では、ソニンのしなやかな動きが目立った。



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by sea1900 | 2006-09-20 22:50 | 映画
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原作は Constant Gardenerで、献身的な園芸家と言うそうだ。
確かに、献身的な園芸家として生きているジャスティンは、妻の危機を救う事も出来ずに、ケニヤで、今何が行われ、どうなっているのかを知らずにいたのだった。

この話は、壮大な夫婦の<愛>なんかじゃなくて、妻の死によって、夫がやっと現実に目覚めた話だと思う。

妻を失った喪失感も大きいが、おそらくは、企業が、非力なアフリカを食い物にしている現実を知って、妻はその事を阻止しようとしていて命を落としたのに、自分は、知ろうともしないで、豪華な家で、庭いじりをしていたのだ。皮肉って<献身的な園芸家>とでも、呼ぶしかないだろう。
しかし、妻テッサの死後、現実に目覚めていくシーンは、サスペンス仕立てになり、物静かな性格のジャスティンに、<知る>事で、妻テッサと本当に結ばれていくのだった。
その点を<雄大な自然の中で生まれる夫婦の愛>と言うならば、余りにも単純だ。

お互いの仕事の中身までは干渉しないと言うのは、聞こえは良いが、一皮剥けば、夫婦としては何か不足するのではないだろうか?
この辺の壁をどう超えるかは、非常に微妙だと思うが、国家的な問題になるのならば、一致団結する必要もあったと思う。
豊かな国アフリカを、貧しく、病気が蔓延する希望の見出せない大地にしたのは、先進国と呼ばれる国々の、限りない搾取が原因ではないだろうか?

つづく・・・・



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by sea1900 | 2006-09-11 23:56 | 映画


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飯田橋のギンレイホールで、今日は『ぼくを葬(おく)る』と、『ブロークバック・マウンテン』を観た。
『ぼくを葬る』は、フランソワ・オゾン監督の<死>についての3部作の中の2作目で、一作目は未見の『まぼろし』だ。
31歳のロマンはパリのフォトグラファーで、恋人サシャと暮らしているが、気が付いた時には何箇所かのガンが発見され、余命3ヶ月の宣言を受けてしまう。自分が迎える死に、自分で静かに立ち向かう姿を描いた映画で、ロマンは感傷的にならずに、自分で死を受け入れて、自分を葬る準備をして行く。
将来のあるサシャに別れを告げ、祖母ローラ(ジャンヌ・モロー)にだけ、本当の事を告げる。
寿命からすると、祖母の方が<死>を身近に感じているのに、孫の方が<死>を早く迎えてしまう哀しさを、人生の先輩として等身大に表現するジャンヌ・モローが良い。
70代後半になったジャンヌ・モローには、フランス女優を見る事が出来た。
勿論,大女優だから存在感もあるが、セリフの一つ一つに含まれた<センス>を感じるし、ロマンに渡すバラのおしゃれさや、裸で寝るという艶かしさに、生きている女を感じる。
そして、アメリカ女優だと感じられない良さが匂い出している。


ひょんな事から、若いとは言えない子供の欲しいジャニィの為に、代理父となるが、こんな事ってあるのだろうか?
ジャニィ夫婦とロマンとの3人でのSEXシーンには、正直、あれれ・・・と思ったが、女性には興奮出来ないロマンの為に、女性の夫の協力が必要だったのだ。

自分の死の後に、何か残したいと思えば、子供ではなく、私は、写真が妥当だと思う。
自分の命が、途切れない為に、ここでは子供を残す事を監督は選んだのは、子孫を残す定めの生き物に対しての、自然さを表現したかったからなのだろうか?それとも、監督の願望なのだろうか?

<死>というテーマは、決して特別な物ではなくて、誰にでも起こる身近な問題だ。
オゾン監督は、フツーの事を1時間20分の中でまとめているが、とにかく無駄が無い。そして、その時間が私の中では3倍にも膨らんでいた。

オゾン監督は、ミスキャストの無さでは、定評があるようで、例えば、ロマン役のメルヴィル・プポーの美しさや、ジャニィ役のヴァレリア・ブルーニのフランス人っぽさが良い。
キャストの確かさが、着実な映画を作り出しているとも言える。

ラストの海で、死を迎えたロマンは、幸せだと思えた。
それは、死の宣告を受けてからの3ヶ月間で、人生の締めくくりをしっかりと出来たという達成感からの安らぎを得る事が出来たからだと思う。
だから、不思議な温かさが、滲んで来るのだろう。

私が死を迎える時には、やはりこうしたいと思うし、自分への責任を考えたい。



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by sea1900 | 2006-09-07 01:04 | 映画

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フランスで『皇帝ペンギン』や『ディープ・ブルー』をしのぐ興行成績を記録した、北極圏に実在する老狩人の真実のドラマ。犬ぞりなどを使う伝統的狩猟方法を貫くノーマン・ウィンターの、シンプルかつ機能的な暮らしを映し出す。自身も冒険家であるニコラス・ヴァニエ監督が惚れ込んで映画化しただけあり、その迫力の映像は圧巻。季節毎に表情を変える大自然の中で動物と共存する“最後の狩人”の姿に感服する。
(シネマトゥデイ)


映画館でのCMを何度も見て、ハスキー犬と、自然との組み合わせの作品に、とても期待していた。暑い夏には、うってつけの映画でもある。
犬が今の日本ではペットとして飼われている事が多いが、元々犬は人間にとっての家畜であって、本来は人間の為に役立つように作られているのだ。

ロッキー山脈の中で暮らすノーマンにとっては、そりを引く為にハスキー犬は大切な存在だった。一匹のアパッシュと名付けられたメスのハスキー犬は、段々とノーマンとの暮らしに溶け出して、ハスキー犬本来の良さを発揮して行く。この辺のくだりは、よくある話だと思う。
凍った湖を犬そりで渡った時に、それまでのリーダー格の犬の事故死によって、老齢のウオークがリーダーになるが、統制が利かずに、ノーマンは薄い氷が割れて、冷たい水の中に落ちる。そして、アパッシュのお陰で、命を助けられてからは、ノーマンは自信を取り直して行くのだった。
熊や鹿の映像が、望遠だと思うけれど、それを感じさせないリアルさで、この熊は、グリズリーかも知れないと思った。
しかし、熊さえも、やたらとノーマンを襲いはしない。
これは、自然と共に生きていく宿命の人間に対する動物同士の謙虚さだったのではないかと、私は勝手に解釈した。



雪の中の風景や、新緑の季節などが、主役になっていて、ノーマンと犬とは、ロッキー山脈の中では、小さな存在だと見せ付け、大自然に対しては、謙虚さが唯一の守り神となるのだと教えている。
自然との単純な生活が、本来の人間の人間らしさを復活させてくれるのだ。
しかし、やたらと真似は出来ない。零下40度にもなる雪山の中では、経験だけが物を言うと思う。


冒険家の監督ならではの映画だと思うし、犬のチームの演技も自然だった。
シンプルなストーリーしか必要としない大自然のロケには、心洗われる思いだった。

ハスキー犬が日本で流行った時に、犬を知らない人らが、こぞって『ハスキー犬はバカだ!』と言っていた事実があったが、雪の中で暮らすべき犬を蒸し暑い日本で繁殖して一儲けしようとした日本人こそがバカなのであって、犬には何の罪も無いのだ。
ハスキー犬は、走るべき犬として作られているので、一般家庭で、ペットにするには余り適していなかったと思う。
外見ばかりで判断して、犬の特性を学ぼうとしない日本人には、定着しない犬種だったのだ。
これは謙虚さが足りない結果だとも、思うのだ。


犬に対して「Good Girl!」「Good Boy!」と言って、性別を分けたほめ方をしていたのは、ノーマンの愛情だと思った。
ノーマンには、15年も一緒に暮らしているネブラスカと言うnativ of americaの女性がいるからこそ、自給自足の生活が出来るのだし、ロッキー山脈の中での暮らしは、決して孤独ではないのだ。
孤独どころか、彼にとっては、山が家なのだと思うし、山を離れては生きられないのだと思う。

だから<最後の旅>は、ありえないのだと思った。





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by sea1900 | 2006-09-06 00:21 | 映画
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akaboshiさんのブログで、『ナイロビの蜂』を9/9から、ギンレイホールで上映する事を知った。
実は、この映画は逃してしまった1本でもあって、とても見たかった映画だ。

10月から、私はアフリカについてのレクチャーを大学で受ける予定だ。それでアフリカの貧困についてはこの映画とダブらせると、興味が沸くと思っている。
アンジェリーナ・ジョリーとブラピは、ナイロビに救援物資を持参しているが、単に送るだけだと、目的地までは、届かないので、最後まで見届ける必要があるのだ。それで、実際に自分達の手で、届けているのだが、これは、世界的にもアフリカを知ってもらう為のPRになるし、有意義な事だろう。
ブラピがアンジェリーナと暮らし始めてからは、一回り大きくなった様だ。
ブラピ程の世界的に有名な俳優でも、パートナーによって、こんなに変わるなんて!と思うと、色々な意味において、パートナーの存在は大きい。
相手次第ではなくて、まずは自分のポリシーの上に、パートナーが加わる事が必須だ。

アンジェリーナは、これからも世界的規模のボランティアを続けていくだろうし、スケールの大きな女優として成長する事が伺える。

ボランティアとは、金品を与えるだけではなくて、『人と共に生きる事』だと思う。
合衆国の生徒や学生のボランティアが、点数稼ぎの物だとしても、日本のようにボランティアが定着していないよりは、遥かに良いと思う。


この秋は忙しいseaなのだが、映画だけは見逃さない様にしたいと思う。




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by sea1900 | 2006-09-05 16:52 | 映画


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土曜日の夜から見続けて、昨夜見終わった韓流ドラマ『春のワルツ』は、『冬のソナタ』を作り出したユンソクホ監督の四季シリーズの完結編となる。
四季シリーズとは、冬のソナタ、秋の童話、夏の香りが既にあって、最後の春の話だ。
映像の詩人と呼ばれるだけに、今回も美しい映像美と音楽の綺麗さで、十分に魅了してくれたドラマだった。
ただ、この作品が「冬ソナを越えられたか?」と問われると、私は「NO!」と答えるに至ってしまった。それは、ヒロインのミスキャストが大きいと思うのだ。

『春のワルツ』では、成功したピアニストジェハ役のソ・ドヨンが少女マンガから抜け出した様なルックスで、ドイツ語の発音も綺麗で、新人ながら違和感の無い自然な演技だったのに、ヒロインのウニョン役のハン・ヒョジュがそれらに追いつけなかった感があった。

ハン・ヒョジュはヒロインとしては、力量が備わっておらず、存在感が感じられないのだ。
例えば、『冬ソナ』のチェ・ジウならば、芯の強さを持ちながらも<涙の女王>を感じさせてくれる。
ハン・ヒョジョが個性的ではなくて、眼に力を観る事が出来ない新人だった為に、ドラマは二流の域を出られない。
但し、どのドラマもそうだが、突っ込み所が多いので、真夜中でも、眼が覚めてしまい、「あれれれ・・・」の連続だった。

音楽と芸術の都ウィーンで、アジアの国のドラマが撮影されるのは、極めて珍しいようで、この点は新鮮だった。
野原の緑と、赤い汽車、白い雪等、鮮やかな色彩の中で綴られるストーリーは、童話の様で、心の傷を温かい愛で癒していくという物。
それらの色彩に合わせたのだろうか?ウニョンの衣装の色彩は、日本人から見たら、考えられない位にダ○い!

相変わらず、一人の女性を愛する2人の男性の話でもあった。

しかし、大人達に混じって演ずる子役は、どの子もすごく上手くて、劇団ひまわりも真っ青になる位なのだ。あの子達は、どうしてあんなに上手いのだろうか?と大人の俳優よりも印象的だ。

映画スキャンダルにも出ていたイ・ソヨンやハン・ヒョジョは、怒るとヒステリックに怒鳴るので、その内に、すごいおばん役が出来ると確信出来た。

もしも、ウニョン役を、『秋の童話』の名子役のムン・グニョンが演じていたらと思うと、非常に残念だ。ムン・グニョンは日本で言うと、和久井映見のような雰囲気がする女優だ。そして、女優よりもフィリップ役のダニエル・ヘニーと、ソ・ドヨンのいい男達が印象的なドラマだったと言える。

疲れた心を癒してくれるドラマを見るときには、それなりの集中力が必要なのだ。


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by sea1900 | 2006-09-05 14:37 | 映画
『蟻の兵隊』から思うのは、『ポツダム宣言』とは、どの様な物なのか?という疑問だったので、フリー百科で調べてみたので、記すると、

ポツダム宣言の 概要
宣言の骨子は下記のとおりである。

日本軍の無条件降伏、及び日本国政府によるその保障(十三条)
カイロ宣言の履行(八条)
領土を本州、北海道、九州、四国及び諸小島に限定(八条)
戦争犯罪人の処罰(十条)
日本を世界征服へと導いた勢力の除去(六条)
最後に“受け容れられない場合は日本は壊滅あるのみ”と声明している。


この中で、一番関係しているのは、十条だと思われる。


戦争犯罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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戦争犯罪(せんそうはんざい)とは、狭義には戦争に関する法(国際法など)に違反する行為(交戦法規違反)と戦時反逆罪(作戦地・占領地内における非交戦者による利敵行為)を意味し、広義には交戦法規違反に加え平和に対する罪・人道に対する罪を含めた概念を意味する。

具体的には、他国に対して侵略戦争を仕掛けたり、敵兵・捕虜に対して非人道的な扱いをすることなどである。また、民間人に対しての殺戮・追放・逮捕など、紛争や混乱の誘発や報復感情の拡大の原因となる行為と言動も、戦争犯罪であるとされている。

また、日本語の俗語として「敗戦の原因を作った人物」という意味で「戦犯」という略語が多用されている。



戦争犯罪人と成るべきTOPの人間が帰国してしまい、現在でも、裁判で国が認めないのは、もしもこれを認めるとすると、ポツダム宣言に対する違反となってしまい、その対応が面倒だからなのだ。

要するに、国は2,600人の日本人を見殺しにした事に成るのだ。
法律と、2,600人の人間とのどちらが大切なのだろう!

そして、2,600人の人間の人生は、たった一人の戦争犯罪人の犠牲に成ってしまっただけでは、余にも悲惨だ。
せめて、この映画が善意によって作られただけでも、良かったのだが、是非多くの人に見て欲しいと思って、止まない。


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by sea1900 | 2006-09-02 17:47 | 映画