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海の上のピアニスト

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力を入れすぎないblog  それなりに暮す毎日

カテゴリ:映画( 228 )


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50代後半になるアニエスカ・ホランド監督が描いた<ベートーヴェン>は架空の写譜師アンナという23歳の女性から見た姿を描いている。
ベートーヴェンには、実際には何人かのお気に入りの写譜師を抱えていたようで、それが如何してアンナという若く美しい女性に変えられたのだろうか?

それは監督が女性なので、女性が共感出来る<ベートーヴェン>を描きたかったのだとしか思えない。

アンナには恋人がいるけれど、橋の設計をする彼には、アンナの音楽の世界は理解出来ないし、アンナも彼の作った橋のサンプルを見て、心が動かない。
アンナがベートーヴェンの身体を洗うシーンはやりすぎだと思うが、こういう風に、2人は<音楽>を通じて心が結ばれていくのだが、この流れは女性監督ならではの流れだと思う。

真ん中に「第9」の初演が20分間入り、この映画のハイライトに成っている。ここは誰が見ても一番の感動を覚えるだろう。
真ん中に入れた事が最初、新鮮に思えたが、今思うと後半が尻切れトンボになっていて、
受け入れてもらえない<大フーガ>の話になり、あれよあれよと、終わってしまった。

ベートーヴェンを敬愛する方には、ベートーヴェン像に物足りなさを感じると思うが、ダイアン・クルーガーの燐とした美しさが自立を目指す女性の姿として印象的だった。
そして30曲以上のベートーヴェンの音楽の中を通り抜ける映画でもあった。







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by sea1900 | 2007-01-18 01:26 | 映画
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18世紀フランス革命寸前のパリの貴族社会に君臨するメルトイユ侯爵夫人(グレン・グロース)が仕掛ける愛と性の罠に落とされたドンファン・ヴァルモ子爵(ジョン・マルコヴィッチ)、セシル(ユア・サーマン)、トゥールベル婦人(ミシェル・ファイファー)の姿を描いた作品。
恋愛ゲームと言えばそれまでの話だが、ゲームがゲームではなくなった時に見えてくる姿は、深刻な物だった。
退屈で仕方ない貴族達の時間のつぶし方でもある。

原作は1782年にコデルロス・ド・ラクロの書簡体小説。
簡体小説(しょかんたいしょうせつ、epistolary novel)とは、登場人物の書簡を連ねることによってストーリーが展開していく小説の形式で、18世紀からフランスでは多かったそうだ。

トゥールベル婦人がヴァルモ子爵の情熱に負けて恋してしまい、振られて重病になり、死を迎える時に、ヴァルモも別の場所で死んで行く所は、死が2人を結び付けてしまうと言う古臭いラストだった。
フランス語ではなくて、英語なので、重みのない仕上がりだと思う。



この映画と、昨日が最後の公演だった『カルテット』を比べると、凝縮されたセリフのてんこ盛りだった『カルテット』は、メルトイユ侯爵夫人の絶望感が半減していたように思えた。

『カルテット』が終わり、外に出ると東京タワーが金閣寺の様に光輝き、きれいだった。






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by sea1900 | 2007-01-15 23:20 | 映画
オゾン監督は何故かはっきりした答えを自分では出さないで、観客に委ねる。
委ねられた観客の自由な発想が、どこまで監督の考えの範囲なのかと思ってしまう。

この映画は、夫婦の出会いから離婚までを、時間を逆にして5つのショートとして描いている。
もしも、これを普通の時間の流れとしていたら、また、別の見方をしたのかも知れない。


観たのはおとといの夜中だったので、時間が少し経ち、もう一度考えてみるとその時には見えなかった事が見えてきたのだった。
<ふたり>と言っても、女はごく普通の女で、問題は男にあった。

男は潜在的な同性愛者なのに、それを認めたがらない。あるいは、認めないのだ。
妻が子供を産み、その父親が自分ではないと感じて、それが原因になっての離婚だとしたら、普通のお話で、悲劇的な男の話に終わってしまうだろう。

根本的に女性を愛せないのだから、心から満足出来ない男が主役だと考えると、納得出来る。
この男は離婚後にも女性との恋愛を重ねるだろう。(現に恋人の存在をほのめかせていたけれど)何時になったら、自分に素直になるのだろうか?
素直になれないのならば、不幸が続くだけなのだ。

謎解きの5つの話の時間を逆にする事で、何度か前の話を振り返りながら、この5つの中にある共通の物を探り当てる事が出来た。
時間の流れは、時として人の目を惑わしてしまう。それは、<先入観>が事実を見せなくなるのだろうか?

「僕を葬る」や、さっき見終わった「まぼろし」は、同じ監督の作品ながら、心に残るが、それは<解りやすい映画>でもある。勿論、名作には違いないけれども。。。。

表面だけではつまらない映画だけれど、さすが、オゾン監督の作品だと思った。
サスペンス仕立ての流れは、最後には海に放たれている。

フランスではこの映画はどう受け止められたのだろうか?
ヨーロッパでは如何だったのだろうか?







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by sea1900 | 2007-01-07 02:50 | 映画
どう考えても永いタイトルのドラマだ。
新聞の番組では「明智光秀~神に愛されなかった男~日本史が変わる!?本能寺の変史上最大の謀反の真相とは!?信長を打ち秀吉に討たれた男ー悲劇の武将波乱の生涯そして愛と涙・・・・・・」と書かれている。

せめて「明智光秀~本当の姿」等と成らないのだろうか?

唐沢寿明演じる明智光秀は、<神に愛されなかった男>と言う訳ではないし、<織田信長についていけなかった武将>のようだ。
相性もあるし、考え方の違いも大きい。

歴史とは、後になって歴史の好きな人によって調べられ、思いをめぐらされる大きな流れだと思うと、時の流れと共に、解釈にも変化が生まれるし、それが正しいのだと思う。


徳川家康、織田信長、豊臣秀吉とこの3方はよく比較されるが、こんな句がある。

鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス   織田信長
鳴かぬなら鳴かせてみようホトホギス  豊臣秀吉
鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス   徳川家康

ちなみに・・・・・
鳴かぬなら、それでいいじゃんホトトギス  と言ったのはフィギュアスケートの織田信成。

織田信長の短気さが遺伝しなかったようで、何よりメデタイと思うのは私だけだろうか?






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by sea1900 | 2007-01-04 00:30 | 映画
今日まで最後の仕事に追われて、ひいひいと息をしていたけれど、
ほとんどの仕事がやっと終わったので、今夜は『大奥』を見に行った。

<絵島生島事件>をラブストーリー仕立てにしているので、迫力がなかった。
その分、高島礼子と杉田カオルの迫力が旬に輝いているのだから、仲間ゆきえの可愛らしさでは到底かなうはずも無い。


それと仲間ゆきえの打ちかけが何度も金魚柄で同じ物だった点も気に成った。

女だけの世界で、嫉妬心とライバル意識だけに縛られている女性達を見て、疑似体験を通して面白いと思うのは、ストレスだらけの現代女性なのだと思う。
観ていたのはほとんどが女性だった。








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by sea1900 | 2006-12-29 00:03 | 映画
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『王の男』のイメージは、ゲイ映画としての物しかなかったが、実際に見てみると、歴史物として韓国人が好む映画ではないかと思われた。
ゲイ映画と言っても、人間的な精神的愛情が根本になっていて、面白かった。

映画ブログに、

無謀にも『王の男』を読み解く

があり、細かく時代考証がなされているので、ゆっくりと読んで見ようと思う。


王を演じるチョン・ジニョンは榎本明の様な表情をしながらも、笑うと別人のように成る。
16世紀に実在した暴君燕山君と、時代に翻弄される旅芸人の話だが、王朝物としてみると、
宮廷や宦官、暮らしなどが良く解り、きれいな色彩や、打楽器の音楽が良かった。
特に音楽は印象的で、サントラ版が欲しいと思った。

ゲイ映画と決めつけると、期待はずれで、美しい女形コンギル(イ・ジュンギ)と共に芸を披露するチャンセン(カム・ウソン)は、コンギルを愛しながらも、決してそれを言わずに、見守るように寄り添い命掛けでコンギルを守って行く。

王は、コンギルの美しさや優しさに、亡き母親を思い、心癒されるひと時を持つ。
コンギルの身体を求めるのではなく、2人で指人形をして遊んだりするだけなのだけれど、そこでコンギルは王の孤独や寂しさを知るのだった。

案の定、宮廷物は何処の国でも、嫉妬や陰謀が渦巻いていて、ここでもコンギルを亡き者にしようと思う人も出てくる。

結局、身分が高ければ高い程、一人では生きられなくなるのだろう。

最初も最後も、綱渡りのシーンで、これが見事だった。


見終わって『王の男』と言うタイトルはこの作品には不適当で、興味本位に付けられたのではないかと思われた。







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by sea1900 | 2006-12-14 22:59 | 映画

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たった8分間の短編アニメ『岸辺のふたり』を見た。

父と娘が2台の自転車に乗って、岸辺にやって来て、父はボートに乗って去ってしまう。
そして、何年経っても娘にとっては<岸辺>は大きな存在となり、思い出の場所になった。
何度もここに来る内に、おばあちゃんになった娘は、奇跡に出会うというお話。

アコーディオンとピアノだけの音で語られ、セリフは一つも無い。
セビリア風のアニメが独特の雰囲気を作っていて、ノスタルジックだったが、時折ユーモアを含んでいて、心温かくなった。

無駄が全く無くて、かといって余裕が無いわけではない。

本当に上手く作られていて、映画の時間の長さは関係ないと思った。

音楽がとても良くて、映像と合わせた時に狂いが生まれなかったように思う。
久々に見た素晴らしい短編だった。







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by sea1900 | 2006-12-11 00:30 | 映画
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『プラダを着た悪魔』の公式サイトより
intoroduction・・・・・・

2003年4月、20代の新人女性作家が書いた1冊の本が、刊行と同時にベストセラーになった。タイトルは、「プラダを着た悪魔」。作者は、ヴォーグ誌の女性編集長のアシスタントをつとめた経験を持つローレン・ワイズバーガー。作者自身の実体験が多分に反映されているとおぼしきこの小説は、瞬く間に同世代の女性たちの間で評判を呼び、ニューヨーク・タイムズ誌のベストセラー・リストに6カ月間ランク・イン。世界でも27カ国語に翻訳され、何百万人もの女性たちの熱い支持を集めた。本作は、その待望久しい映画化。華やかにして苛酷なファッション界の裏舞台を垣間見せながら、誰もが社会に出たときに痛感する驚きや迷いをユーモアあふれるタッチで描き出し、たっぷりの共感を味わわせてくれる新感覚のトレンディ・ムービーだ。

        ・・・・・・・・・・・・
ファッション界の雑誌社には元々興味の無かったアンディが、とりあえず入社したのが人気ファッション誌の『RANWAY』だった。
大学時代にジャーナリズム賞を獲得した経歴を持つアンディ(アン・ハサウェイ)は、自信を持って入社したが、そこで彼女を待ち受けていたのは、編集長ミランダ(メリル・ストリーブ)の強烈なデビルぶりだった。
ストーリーとしては、シンデレラ物語のような単純さがあり、だからこそ、女性には共感を呼んだと思うけれど、ラストにはがっかりさせられた。


アシスタントとは名ばかりの雑用係で、これもあれも仕事という風に、プライベートも何もありゃしない!ミランダの双子の娘達に、「まだ発売されていない『ハリー・ポッター』を読ませたいから4時間後には用意しなさい!」なんて、ぽんぽんと言われ、天性の回転の良さを発揮していくアンディは、みていて楽しい。

ミランダのよきアシスタントとしての成長を眺めながら、それと共に、洗練されて垢抜けしていくファッションを見る事が出来る。ファッション界で働くには、自分のファッションセンスは自己アピールになるので、大切な要素なのだ。
勿論、ピンヒールの動きにくい靴を履くことだって当然だと思うし、形から仕事に入る事も当然だ。

ミランダは言う。
「今までの子はみんな形ばかりで、おバカだった!」
ミランダをサポート出来るアシスタントなんて、アンディが初めてだったようだ。

ミランダの要望が高すぎるかと言うと、決してそうではなくて、本当のプロ意識を持って仕事に取り組んだアシスタントが今までにはいなかったという事だろう。

ミランダは仕事を大切にする余り、また離婚になるが、責任のある仕事をしながら、家庭との両立なんて、現実にはあり得ない。
簡単な仕事なら両立も出来るが、ハードな仕事を続けるには、それなりの犠牲が生まれてしまう。主夫に徹してくれる夫でもいなければいいが、そうも行かない。

この映画はアンディのサクセスストーリーでありながら、キャリアのあるミランダの姿を描いている。ミランダを演じたメリル・ストリーブの何でもこなせる演技力と美しさにすっかり魅せられてしまった。

この映画はしばらく前に、営業職で永い間、優秀な実績を挙げ続けた女性と一緒に見たのだった。見た後で、私達は、アンディが最後に仕事を捨てて、恋人を選んだ姿に絶望したのだった。

現実を考えてみよう。

自分の成長と共に、恋人は変えた方が良いと思う。
話の合わなくなった恋人なんて、捨ててしまえばよい。
そして、その時々で自分に合った恋人を見つければ良いと思う。

どうして、ミランダに認められるようになったのに、仕事をやめてしまうのだろうか?
元々、ファッション誌志向でなかったともいえるが、もったいない話だ。

「RANWAY」の社内や、ファッション界に渦巻く陰謀に、嫌気がさしたのだろうが、こんな事は、社会の常だと思う。

そう思うと、ミランダが気高く思え、アンディが唯の子供に思えてしまった。
この辺は、現実のアメリカ社会を皮肉っているのか?それとも、アメリカの理想を描いているのか?

何人かのデザイナーやモデルもプロ意識をもっているからこそ、逞しく生きていくのだと思う。
最後にはミランダのアンディへの思いやりが見られて、ミランダの仕事という仮面の下の姿を思うのだった。


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by sea1900 | 2006-12-02 22:01 | 映画
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イタリア映画の良さは、永い歴史に負けない丁寧さだろうか?

そんな風な感想が出る「家の鍵」を、今朝見た。

15年間も生まれた息子に会わなかった若い父親ジャンニと、出生時に母を失い、伯母夫婦に育てられてきたパオロが初めて会って、ミュンヘンからベルリンの病院まで、そして、今度はノルウエィまでのドライブを通して、お互いの本当の姿をぶつける。

パオロを演じたアンドレア・ロッシ君の姿があまりにも自然だったのは、監督との一年間の暮らしから来たのだと思うが、手首を捻じ曲げて、背骨をくねらせて、まるで、生まれつきの姿のように見える。そして、めがね越しに三白眼で、上目使いをされると、本当に彼は障害を持って生きているのだと思い込んでしまった。

障害者と言うと、やはり健康体の人と比べて、ハンディキャップを持っている事になるが、そう思う事自体、勝手な判断なのかも知れない。

<障害>ではなくて、少し変わっているだけだと思いたい。

パオロの無垢な明るさに何度も救われるが、ノルウエィの道を走っている時に、いう事を聞かずに、クラクションを鳴らすパオロに、父は車を止めて泣いてしまう。
これからの2人の永い道のりを思うと、その道のりが単純な物では無い事に、涙したのだが、
「泣いてはいけない」と父を諭すのもパオロだった。

子供も成長すれば、親も成長するのだ。
決して、停滞しない関係だと思う。

かつて、障害児を授かった知人は、「この子にはこの子のスピードの成長がある。」と語っていた。しかし、その言葉を自然な言葉として吐き出せるまでには、幾度かの挫折を味わったと思える。迷い、悩み、子供の将来を悲観した事だって一度ではすまなかったと思う。

<障害者>は障害を持って生きているのではなくて、少し変わっているだけ、そして成長が少し遅いだけなのだと思う。

シャーロット・ランプリングの優しいまなざしに隠された苦悩は、娘への愛の裏返しだと思う。


ラストの宗教音楽が、「許し」のように聞こえたのは、私だけなのだろうか?
誰にも「許されたい時」があって、「許される時」があるのだと思う。


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by sea1900 | 2006-11-20 22:40 | 映画
スプラッタ‐ムービー【splatter movie】
血みどろでショッキングな場面を主な見所とする映画。


テキサスで、1969年から1973年間に33人もの人を殺した男の話のビギニング版で、
これがR-15だなんて信じられなかった。

大人の私が見ても、耐えられないシーンがてんこ盛りで、残酷極まりない。
若い女性は絶対に見ない方がいいと思った。


一緒に見た友人は、アメリカの広さを良く知っていて、テキサスがどんなに広い所かを説明してくれた。
古い家、地下室、田舎の一軒屋、とくれば、これが他の世界と隔絶された不気味さを語っている。
アメリカの方が日本よりも猟奇殺人事件が多いと思うが、それだけではなくて、銃社会がそれに加担しているのも事実だ。
この映画に中で、レザー・フェイス(犯人)よりも怖いのは、実は保安官を殺して、自分が保安官に成りすましている異常者のホイト保安官で、彼の異常がクローズ・アップされている。
でも、考えれば、戦争の影響で異常に成ったともいえるだろう。

レザー・フェイスは彼の操り人形だ。
これもよくある構造だと思う。

この映画の魅力は、実話が原作だって事。
あくまで<きちがいに刃物>は最悪の事態を招いている。

どうして、私がこの映画を見たと言うと、原作が事実で、知っておいた方が良いと
思ったからだった。それでも、外科手術の様な場面には、何度も椅子からずれ落ちそうになった。

そして、チェーンソーが充電切れにでもならないかと思ったものだ。



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by sea1900 | 2006-11-15 23:38 | 映画