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海の上のピアニスト

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2006年 11月 11日 ( 1 )


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今日、私は中学校英語弁論大会の県代表に成った中学3年女子のスピーチを聞いた。
スピーチは、さすがに県代表になっただけの事はあると思われるきれいな発音、持ち前の声の美しさ、ジェスチャーと、どれをとっても良かったが、一番良かったのは、世界的な出来事に注目したという点だと思った。

和訳すると、以下のようになる。

    。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

「押すべきか、押さざるべきか?」
一人のやせこけた少女が地面に横たわっている。
後方には一羽の冷たい目をしたハゲワシがぼんやりと現れる・・・。
 皆さんは、この画像を今までに見た事があるかもしれません。
これは、13年前にケビン・カーターによって撮られた有名な写真です。
その写真は世界中の新聞に掲載されました。
そして、ケビン・カーターはこれで1994年にピューリッツァー賞を受賞しました。
初め、私はその衝撃的な写真を英語の教科書で見ました。
クラスで、私達はどの様にケビン・カーターがスーダンに行ったのか、写真家としてどう働いたのか、について読みました。
彼は、スーダンの問題を世界に見てもらいたかった、その結果、彼の働きはたくさんの飢えたスーダン人を助けました。

しかし、カーターの撮った写真を非難した人もいました。
彼等は、「彼はそれを撮るべきでなかった。その代わりに、その死にそうに弱った子供を助けるべきだった。」と言いました。
このカーターへの非難について皆さんはどの様に思いますか?
貴方だったら、どうしましたか?
もし、貴方がケビン・カーターだったら、カメラのシャッターを押しましたか?

私はこの有名な写真の詳しい事を知りたくなりました。
インターネットを見て写真についてのたくさんの事、撮った人物の事について学びました。

私は、あのスーダンの少女が危険ではなかった事を知りました。
彼女の母親は近くに居て、支援者から食糧をもらっていました。
カーターは良い機会だと思い、写真を撮り、その後ハゲワシを追い払いました。

後に、写真が掲載されると、カーターはたくさんの非難を浴びました。
彼の行動は不人情で非道だと言う人も居ました。
彼等は、「少女を助けるべきだった。写真を撮るべきではなかった。」と言いました。
しかし、彼は非難に答えず、彼自身を弁護しませんでした。
私はなぜ彼が何も話さなかったのか解りません・・・・誰にも解りません。

この物語は悲しく、衝撃的な終わりを告げます。
この写真は彼を有名にしましたが、彼は彼に対する非難に上手く対処する事が出来ませんでした。
ピューリッツアー賞を受賞した数ヵ月後、ケビン・カーターは自殺してしまったのです。

去年の5月、私は新聞で義足の人達がエベレストに登った事について読みました。
彼等は山に登っていると、弱ってスロープの上に一人で倒れている男性に出くわしました。
彼等はその男性を助ける為に止まらず、頂上を目指し登り続けました。
彼等は登山に成功しました。
しかし、彼等に見過ごされた男性は死にました。

貴方は義足の人達の選択についてどう思いますか?
最初、私は、彼等は自分達の登山を諦める事になったとしても、他の登山者を助けるべきだったと思いました。
しかし、後で、私は考えが変わりました。
そして、今は、私は彼等のとった行動を責める事は出来ません。

私は義足の登山者についての大切な情報をいくつかTVで学びました。
コメンテーターは「倒れた登山者を助ける方法は、自分自身の命を危険にさらし、彼等の酸素を彼に与える事しかなかった。」と言いました。
何人かのプロの登山家は、インタビューで「もし、貴方だったらエベレストで死にそうな人を助けますか?」と尋ねられました。
ほとんどの人が「いいえ!」と答えました。

そして、「第一に、エベレストに登る人は自分の事は、全て自分で責任を持つべきだ。」と言いました。
リポーターは、「他の登山者達は声も掛けずに通り過ぎて行きました。一方、義足の人達は立ち止まり、彼を勇気付けました。」と、付け加えました。


古いことわざがあります。
<全ての出来事には2つの面がある。>
私はこの2つの話から、一面的な見方で結論を急いではいけない。という事を学びました。
私は、他人の行動を非難する前に、状況をよく考え、事実を見極めるべきだ。という事を学びました。

最後に、この質問をさせて下さい。
「もし、貴方がケビン・カーターだったら、カメラのシャッターを押しますか?」

私だったら、彼と同じように写真を撮ったと思います。

ありがとうございました。
    。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


私はケビン・カーターの自殺の事を知ったその昔に、作家やカメラマン等の表現者としての彼等の宿命を考えた覚えがある。
マスコミは何か突っ込みどころがあれば、それこそ暴徒と化して、一つのイジメの構造が出来上がり、集団ヒステリーが人の命さえ奪ってしまうのだから、全くたまったもんじゃない!

正しいとか正しくないとかは、誰にも判断できない事があるし、
その場に居合わせなければ、判断の付かない事だって多い。

くれぐれも、他人の言葉を鵜呑みには出来ないし、自分の尺度を持って考えないととんでもない事になるだろう。

スーダンの少女の写真だって、これを見て、「かわいそう!」と、大体の人が思うはずだ。
しかし、如何してかわいそうなのかは考えないと思う。
国家、歴史、文化と、それなりに学んでこそ、一枚の写真への感想は生まれるべきだ。
まあ、そんな所に着目していれば、ケビン・カーターを死に追いやる事も無かったと思うのだ。
表面的な、目に見える事だけを判断基準にしてしまうと、世の中は偏屈になり、更に狭くなってしまう。
ケビン・カーターは自分の仕事を忠実にこなし、人間を愛した人だったと思う。



私は、このスピーチをした女子がまだ赤ん坊の時に出会っていた。
そう、知人の娘だったのだ。
あれから13,4年も経つと、人間って、こんなに素敵になるのだと思うと、命の尊さをしみじみと感じてしまった。


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by sea1900 | 2006-11-11 00:04 | 人間