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海の上のピアニスト

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力を入れすぎないblog  それなりに暮す毎日

2005年 07月 19日 ( 5 )





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1965年に、フィリピン大統領になり、1986年に失脚、国を追われ、
ハワイに逃げたマルコス元大統領、そして婦人のイメルダ。

マラカニアン宮殿は、かつてはスペイン貴族の別荘だった。
一家が、いなくなったマラカニアン宮殿は、世界に放送された。

びっくりしたのが、イメルダの贅沢さだった。

当時のフィリピンは、世界各国から援助を受けていたのに、
その援助を私利私欲に使っていたのだから、当然、追放されたのだ。

イメルダの化粧室には、世界各国の香水が、山になっていて、
世界のブランド服もぎっしりとあった。
勿論、バッグも世界のブランド品でギッシリだった。
靴は、3000足もあり、
中でもディスコシューズは、ヒールに電気をピカピカ照らす様になっていた。
(派手な趣味だ。演歌の世界じゃないか?あの体重を考えると、靴も哀れだ)

当時、TVでは、この3000足をよく取り上げていた。
3000足もあれば、当然必要ない物が殆どだ。
靴の博物館があるのと同じ事だ。

一方では、一足の靴もなく、
裸足で暮らしている人もいるのに、何ていう事だろう。
イメルダは相当太っていたので、
食生活も当然ながら、贅沢三昧だったろう。

イメルダが逃げて、飛行機に乗る時に、手には、
孫の紙おむつを持っていたが、これは、後になって、
宝石を入れていた事が解った。あくまで、カムフラージュだったのだ。
私は、このオムツを持ったイメルダが、妙に頭に焼き付いている。

しぶといとしか言いようが無い!最後まで、物欲の塊だったのだ。
しかし、こんな人間であっても、世界には、
彼らを助ける人が存在している事が、私にとっては、更なるショックだった。

あの3000足は、あのまま保存されているのだろう。
保存よりも、オークションでもやって、収益金を得て、
人々の役に立てた方が得策ではないのだろうか?

フィリピンの女性は、特に、靴が好きだと聞いた。
それも、靴とバッグをペアにしたりするそうだ。

イメルダは、キンキラキンで、香水だらけの臭い女!だったのだ・・・・

臭い物は、元から絶たなければダメなのだ。
そんな、出来事だった。






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by sea1900 | 2005-07-19 23:45 | 人間






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市内の開業医のMは、白衣なんか着ない。
いつも、Tシャッにジーンズだ。
そのジーンズも、今風の穴あきで、どこかに引っかかりそうだ。

それに、ヒップバッグを付けている。
このバッグの中は、いつもジャラジャラと音を立てている。
そして、重そうだ。

外を歩いていると、とても医者には、見えない。
なんだか、酔ってでもいるようなのだ。

昔の言葉で言えば、バンカラと言う言葉がぴったりなのだ。

患者によっては、無精ひげのこの姿を見て、
「何だか、汚らしい!」ととる人もいるが、なかなか面白い。

お年寄りに、新聞紙を丸めて、
「薬、薬、・薬・・・・飲む、飲む、飲む!」なんて言ったりするのだ。
いつも、一人で元気丸出しだ。

何だか、お祭りの最中のようだ。と思っていた。


ところが、去年の市の夏祭りでは・・・・
お見かけしましたぞ~~おみこしを担いでいるお姿を!

あの酔ったような歩き方は、おみこし用のステップの練習だったのだろう・・・・



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by sea1900 | 2005-07-19 16:47 | 人間




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1997年作の映画に『ベント』がある。
マックスをクライブ・オーエンが演じている。

この話は、第二次世界大戦中に、ナチスの収容所内での、
同性愛者の男達の悲劇を描いている。

ミック・ジャガーがこの中で、歌っているので、
観てみたいとは思う。

映画のブログを読むと,「あんた!どうしてそこまで知っているの?」
と言いたくなるような物まであって、さすがに、映画ブログなのだなあ~と感心させてくれる。

と言うわけで、専門的には、映画ブログ様にお任せすれば良い訳で、
私は、ちょっと、違う見方や方法で書いてみたい。

実は、昔から映画、映画!と騒いでいたのだが、
ある時、私にはもっと感激できる物が無いか?と思った。
それで、幾つかの舞台も見てみた。

その中に、この『 ベント 』が在ったのだ。

マックスを、高橋幸治が、ホルストを役所広司が演じ、
この舞台は、2人のラストシーンの所で、石を積んでいるシーンだった。

2人の他には、3人位しか役者も出ない。
当時、役所広司は売れてきていた。
私は、10歳位から高橋幸治のファンだった,

2人のこうじは、どちらも、上手くて、上半身裸の身体もカッコよかったのだ。

身長は、役所の方が、少し高いが、大差はない。

コ・ウ・ジ同士の対決だった。
演技力は、高橋が、やはり素晴らしい。
圧倒的な存在力で、すごみを利かせていた。

そして、舞台が終わって、最後になった。
女性が、何人も何人も、切れる事が無く、大きな花束を持ってくる。

持ちきれなくて、うれしい表情をしたのは、役所だけだったのだ。
誰も、高橋幸治に花束を差し出してはくれなかった。

私は、唖然!とした。
そして、高橋は、あの大きなやや三白眼で、じろっと、広司を見つめたのだ。

とその時、二人の女性が、高橋に、花束を渡したのだった。

それが、思いやりからなのか、広司よりも幸治を選んだからなのかは、
未だに、解らないのだ!


それを、席から観ていた私は、ほっとした。
舞台は、はらはらドキドキがあって、それも楽しい!!!




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by sea1900 | 2005-07-19 11:48 | 人間




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プラハの春とうたわれた1968年のチェコスロバキア、無類の女好きでもある脳外科医のトマシュ(ダニエル・デイ・ルイス)は、きまじめな娘テレーザ(ジュリエット・ビノシュ)と結婚するが、彼の女漁りは収まらない。やがてソ連軍が軍事介入してプラハに進駐し、ふたりはスイスへと移り住むが…。
フランスに亡命したチェコの作家クンデラのベストセラー小説を『ライトスタッフ』などのフィリップ・カウフマン監督が映画化した3時間弱の大作。


ヨーロッパと言うと、さっき書いたテレジンの様に、歴史を知らなければ、何も解らない事が多い。
私は、この映画を、昔、スバル座で観た。
この男女の三角関係は、良く在るような軽い物だが、チェコにソ連軍の戦車がやってくるシーンには、びっくりした。日本の様な島国だと、こういう思いはしなくて済むが、国境のある国では、これが現実問題だ。
地続きの良さも良いと思うが、危険さも存在するのだ。
この女たらしの医師は、自分にとっては、女は、たかが女と思っているが、軍事介入に依り、自分もたかが、一人の男にしか過ぎない事を悟っていく。

ジュリエット・ビノシュは若くて、可愛いが、レナ・オリンが忘れられない!
最近の『16才の合衆国』に出ていたようだが、(しっかりと見なかったので)何だか思い出せない。

きっと、レナにとっては、『存在の耐えられない軽さ』が、一番印象的な作品ではないだろうか?
それ程、この作品の意味は大きくて、この映画の存在は重いのだ。

軽くはとれないタイトルの難しさが、それを語っている様でもある。
  最近、ビデオも見たが、あの感動は、
    やはり、映画館でないと味わえなかった。

私の心に、戦車と共に乗り込んできた作品である。




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by sea1900 | 2005-07-19 02:42 | 映画



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テレジンの収容所には、第二次世界大戦時ナチスによって移送された15000人の子供達が収容されていたといわれています。10才から15才未満の子どもたちが、男と女に分けられ、それぞれ〃男の子の家″ ″女の子の家″に入れられ、別棟にいる家族と連絡をとることも、子どもに勉強を教えることも見つかれば死刑でした。このような中で、反ナチス地下運動の指導者や、パルチザンの闘士が送りこまれ、その中に若い作家や画家、音楽家などがおり、多くの犠牲をはらいながら、極秘の内に子どもたちに詩や絵を教えたのです。子どもたちは、飢えと寒さ、親から離れた淋しさ死の不安の中で粗末な紙切れと、小さな折れたクレヨンで、子ども達は絵を描き、詩を書いて残しました。残された絵は4000枚にのぼります。しかし、子ども達は次から次へとここから毎日のようにアウシュビッツヘ送られ、ガス室ヘ消えていったのです。もちろん教えた若い画家たちも一緒に。テレジン強制収容所に送られた子どものうち、生き残ったのはわずか100人だったのです。」
朗読会や音楽会、子どもに絵や勉強を教えたり、自治組織を作って雑誌を発行するなどしたその活動の一部を知ったナチスは、虐殺行為のカムフラージュとしてその活動をある程度認め、逆にプロパガンダに利用していた。<抜粋>

10年前、、私は、、ドリアン助川の『湾岸線に陽は昇る』を読んでいた。
この本が、出版されて、このテレジンの事を知ってから、早い物で、10年も経ってしまった。
彼は、実際に1989年のベルリンの壁崩壊、90年には、東欧全体が動き始め、革命の炎がチェコからルーマニア、旧ソビエト連邦まで広がった時に、取材旅行をした。
そして、その最中に、テレジンを訪れたのだ。
同行した三戸君と、物見遊山。観光の為に訪れたが、この事が、東欧取材の中で、一番ヘビーだったと語っている。
この収容所に収容されたのが、主に子供達だった事も2人の心を暗くしたのだ。

そして、プラハにあるゲットー博物館。
この一角には、テレジンに収容された子供達の絵や日記が残されている。

今から、60年前に書かれた子供達の作品は、身体の奥底、心の奥底に呼びかけるようなほのかなささやきであり、それでいて、力強い、人間が、人間である為のささやきだと、彼は、結んでいる。

私は、最初、この絵は、ナチスが子供達に描かせたのだと考えていた。
ヒットラーは、絵描きだったので、子供達から、何かヒントでも得る為に、
そうしたのだと思えたからだ。
ところが、実際は、上記の様ないきさつだった。

子供に絵を描かせると、色々見えて来ると言われるが、
私は、東欧に出かけたら、是非、この博物館に行きたいと思っている。
そう、10年前からなのだ。

しかし、やはりヘビーな思いになるだろう?
観たくない!知りたくない!と言う気持ちも在るが、
テレジンの事を知ってしまった私の義務で在るような気もするし・・・

それと、ベルリンの壁の跡も観てみたい!と思っている。

ヨーロッパは、その歴史なくしては、語れない所なのだろう。



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by sea1900 | 2005-07-19 01:19 | 人間