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海の上のピアニスト

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『 蟻の兵隊 』    

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この映画は、ドキュメンタリーで、写真の奥村和一(おくむらわいち)さんが、現在も戦い続けている戦争体験を映画化している。
日中戦争が1945年8月に、日本の敗戦によって終わり、中国の山西省にいた5万9000人の日本軍部隊は、中国国民党に降伏した。国民党の将軍・閻錫山(えんしゃくざん)は、共産党軍との戦いに、日本軍を必要とし、降伏してきた日本軍の司令官と交渉して、日本兵2,600人を残留させたのだった。以後、数年間、2,600人の日本兵達は中国の共産党軍と死闘を繰り返す事になった。
彼らの多くは、この戦いで戦士したり、捕虜になったりして、生き残った人達が帰国出来たのは、国民党が敗れて、中華人民共和国が設立してからの事だった。

さて、帰国すると、今度は日本政府が彼らは軍の命令ではなくて、勝手に残留して閻錫山の用兵になったのだとみなし、旧軍人としての補償や恩給の対象からは、一切除外したのだった。

これらの軍の犠牲になった人達は、既に80歳を越していて、訴訟を続けているのだが、訴訟グループの一人が先の、奥村和一さんなのだ。

奥村さんは1924年、江戸時代から続く雑貨商の長男として、新潟県に生まれた。
1944年、早稲田大学専門学校商科在学中に、徴兵され、上記のように、帰国出来ずに、1948年、重傷を負い、この時に受けた砲弾の破片が、今も左半身にびっしり残っている他に、左耳の聴力と全ての歯を失った。
脱出途上、部隊からはぐれて、隠れていたところを人民解放軍に見つかり、捕虜となって、以後6年2ヶ月間を炭坑や農村での強制労働などを負わされる抑留生活を送った。

1954年にようやく、帰国を許されるが、故郷で待っていたのは、終戦翌年に既に軍籍を抹消されていたと言う衝撃の事実だった。
更に、<中共帰り>というレッテルが貼られ、公安に付きまとわれ、居たたまれない思いで、上京する。

63歳で退職してから、山西残留の調査・究明一筋に生きている。


登場人物の方々は、皆さん怒りと悲しみを抱えながらも、自分に残された時間との戦いを生きている。そして、実名で、映画に関わり、当時の日本軍がどのように残酷だったかを語るのだが、若い時に受けた教育が、その人の人生を左右してしまう事を思い知らされた。

同じ軍にいた元中尉や元中佐が語る言葉の重みは、真実を生き抜いた人間の力強さを感じさせてくれる。

脳梗塞で10年以上前に倒れてから、病院で寝たきりの生活を続けている宮崎舜市元中佐は、撮影当時97歳だった。奥村さんが、ほとんど意識の無い宮崎さんを訪ねるシーンがある。
すると、唯寝ているだけの宮崎さんが、声にならないうめきで、奥村さんの話に頷くではないか!
この映画の中に生きているのは、そういううめきで、深く強く心に響いたのだった。

当時の澄田軍司令官は、1949年に飛行機で脱出して、日本に帰国し、戦犯となることを逃れた。ポツダム宣言や天皇の命にも背きながら、戦犯にも問われずに、特別待遇だった軍人もいるのだ。

歴史を認識する事は、戦争の事実を認識する事でもあって、戦争とは、それ程に深く重い事なのだと思う。

靖国神社で、小野田さんが演説しているシーンがあるが、小野田さんは、既にマスコミの人となっていて、靖国神社の戦犯にも頭を下げる姿勢だった。
奥村さんが、小野田さんに言葉を掛けるが、小野田さんは小泉首相のような態度で、去っていった。これが結構強硬で、小野田さんは、天皇に命を掲げた人だと確認出来る。
小野田さんの、何かにやけた姿に、私はがっかり!

奥村さんが、2005年夏に撮影隊と共に、中国を3300キロ走り、<肝試し>として中国人を刺殺した寧武を訪れ、当時を思い出すのだが、加害者でもあるけれど、普通の人間を加害者に仕立て上げた戦争の残酷さを問う姿は、圧巻だった。




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by sea1900 | 2006-08-31 23:29 | 映画