お万の方
最近、BOOKOFFで眼にした本を買ってみたら、大奥の女達100人について、評伝、小伝から描いていた。
かなり、記録的な物で、『江戸城大奥の女たち』 卜部典子(うらべのりこ)作 と言う。
表紙を開けた時、そこには、私と同じようなフニャッとした字体の卜部典子というサインがあったのだ。
おそらくは、サイン会の時の物だろう。 ○○様 とも、書かれている。
大奥は徳川将軍家の血筋を絶やさない事を目的として、作られた女だけの社会で、外部に大奥の事を話す事が禁じられていた為に、色々な憶測が、実像とはかけ離れた大奥を語ってしまっているようだ。
権力社会にあっては、権力を握る男にくっついていた方が、女は幸せだと思う。
勿論、食うや食わずよりも、と言う意味なのだが、環境に支配されやすいのは、昔も今も同じでは無いだろうか?
それは、逆に女の弱さを象徴しているだけなのだが、「いけない!」とは、申せませぬ。
デヴィ婦人が今も芸能界で楽しめるのは、単に権力者の夫人だっただけの事だし、そういう過去を我が物として、上手く自分を消化させている。
もしも、江戸時代の将軍の夫人だったら、お万の方と呼ばれ、尼さんになり、
派手な世界からはかけ離れた暮らしをさせられていただろう。
大奥には、お万の方と呼ばれた女は4人いて、彼女らは将軍の寵愛を集めた女達だった。
如何して、話がデヴィ婦人の事になってしまったのだろうか?
インドネシアの大統領の第3婦人となったデヴィ婦人は、きっと大奥の様な世界に入り込んだのだと思えるからなのだろうか?
→そち!ここを押せと、もうしているではないか。。。