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海の上のピアニスト

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『嫌われ松子の一生』


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レイトショーがいっぱいになるのは、必ず若いカップルの多い土曜日の夜だ。

映画が終了しても、席をすぐに立たない人がほとんどで、邦画のファン層が若い20代に多いのだと実感出来る。
そして、帰りには、しくしく泣きながら「私の方が、不幸せじゃない!」と言っていた、女性の話が耳に残った。

自らの意思ではなくても、松子が次々と、男を変えて生き、転落人生まっしぐらに進む姿を見ると、<どうして、こうなったのだろう?>と思う。
一度、転落した女の人生はころころと、転がり落ちるしかなくなる事が多いと思う。
再び、まともな人生に戻るには、余程の協力者の存在が不可欠となる。

松子は言う。
「殴られても、一人でいるよりは良い」と。
女性は、恋愛に憧れ、結婚に憧れる。
それは、守られたいという保護者を求めたい気持ちもあるし、社会的な意味合いもある。
が、やはり一生を考えると、一人では寂しいからだろう。

松子が父親の愛を感じないで育ったと言う環境は大きい。
父に「松子が必要だ!」と言ってほしかった気持ちが、その後の人生に大きな影響を及ぼしていて、ずるずると引きずっている。松子の一生は、根無し草の様に危うくて、いつも、孤独と戦っている。
そして、自分の人生に執着しているから、死に切れない。
人から見たら、悲惨な人生だが、あまり悲惨さが感じられない。むしろ、人生を謳歌しているようにも見える。諦めて、開き直った2度目の人生で、これ以上、良くもならないし、悪くもならないと信じている様に思える。

数々の歌と映像の力の構成は、ストーリーをこれ以上、悲惨には感じさせなくて、時代の変遷を上手く捕らえていた。
それから、小道具としての、<花>は、それらと平衡している。

松子役の中谷美紀の存在は大きくて、彼女の力のある眼に、安心感さえ覚えてしまう。あの眼だから、悲惨ではないのだと思えるのだ。むしろ、ユーモアがあって、愉快でもある。
自分を変える事をしないから、同じような男と出会い、傷ついて行くのに、暗くはないのは、松子の性(さが)に因るものだろう。
人情に厚いのかも知れない。
そして、実に女、女した性格なのだと思える。


暴力を振るう男との繰り返す出会いを思うと、私は大昔の、2人の知人の話を思い出す。

なぜ、こんなにも美人で、頭も良く、品も良い女性が、夫の暴力に対して、離婚しないのだろうか?と思った事があった。
顔のあざを隠したくても隠せない2人の知人達は、「いくら喧嘩しても、離れられないから」と一様に言っていたが、私はこれは<愛>ではなくて、唯の執着だと思っていた。執着する事は、自分の心の弱さから来る架空のお話を作ってしまう。

今も結婚生活を継続しているかは、解らないが、自分の性が自分の人生を狂わす事もあるだろう。<愛>とは、支配されず、支配しないものだ。

永い原作を、飽きる事もない映像で、リズミカルに繋いだセンスは、これからの邦画にも影響してほしいし、久々に、納得出来る邦画だった。

それから、松子は嫌われていたのではなくて、むしろ愛されていた人なのだ。




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by sea1900 | 2006-06-04 01:32 | 映画