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海の上のピアニスト

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イングリット・フジ子・ヘミング 特別ソロリサイタル



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昨日は、イングリット・フジ子・ヘミング 特別ソロリサイタルを堪能した。

場所は、すみだトリフォニーホールで、錦糸町の駅で降りて、歩いてすぐだった。

フジ子氏のコンサートは、チケットが手に入りにくく、Eチケットで、素早く抑えたので何とか手に入ったのだった。
普段から、私はリストとショパンを弾く彼女のCDを聞いているが、生の音色はやはり、素晴らしくて、『ピアノを弾く』のではなくて、『ピアノに歌わせる』事の出来る稀な天才なのだと思った。

最初、10曲のショパンの曲を、休む間もなく、弾き続けて、20分間の休憩と成った。
私の席は、2階のバルコニー席で、シュタインウエイのグランドピアノのピアノ線の動きが見える。
フジ子氏は、良く在るようなドレスは着ないで、いつも個性的なファッションだが、今日は、明るいブルーのジャケットに黒いパンツ、濃いブルーのオーガンジーのスカート風を巻いて、明るくて綺麗だった。

第2部は、リストとショパンについて、その華麗なる人生を、頼近美津子さんの朗読とコメントを折込ながら進んだ。

頼近さんの落ち着いた声は、ピアノの音色に合っていて、さすがにベテランの風格!ゴールドのドレスが良かった。

リストとショパンは年齢も一歳しか違わずに、友人関係ではあったけれど、ジョルジュ・サンドを愛したショパンと比べて、リストは奔放な愛を貫き、長寿だった。ショパンは持病もあったけれど、ジョルジュと7年間の愛を終わりにしてから2年後に39歳で亡くなっている。

パリでは、モンマルトルとサン・ルイ島の両方にピアノが置いてあり、更に難しい曲に挑戦しているフジ子氏は、幾つになっても前に進まなければならないから、難しくても諦めないと、彼女の著作『わが心のパリ』では、語っている。
才能とは、努力する事の出来る天才を言うのかも知れない。
ありきたりのピアノは弾きたくないから、いつも自分なりの音色を出す為に苦心していて、観客があくびするような、つまらない音楽にはしたくないそうだ。

上の階に住んでいる弁護士夫婦に、「いつも素晴らしいピアノをありがとう」って、言われた事があるそうだ。
生演奏を生活の中で、聞く事が出来るんだから、羨ましい。


多くのピアニストの中で、ピアノを知らない人でも、何か感動出来る物を持っているフジ子氏の演奏は、彼女の努力の賜物でもあるけれど、例えば、人形を作っていても、作者と人形が似てくる事実を思う時に、表現者としての、その人の内面が現れ、見透かされてしまうのだから、魅力とは、その人の作品ではなくて、実は、本人にあるのだと思える。物を媒介としているだけで、本当は自分を表現している。
見栄やウソのない、実直な人柄は、その通りの演奏をするのと同じだ。


第二部が終わり、鳴り止まない拍手に応えて、フジ子氏は、リストの『パガニーニによる大練習曲6番』と、モーツァルトの『トルコ行進曲』をピアノに歌わせた。
この時に、初めて彼女の肉声を聞いたが、思っていたよりも高めの声だった。
彼女の手に係ると『トルコ行進曲』は奥の深い味わいが加わった。

第二部の衣装は、金色の刺繍(?)のある紫色のジャケットに、黒のオーガンジーのスカート風で、第一部の衣装とは違って、シックだった。
何よりもカッコ良いのは、貰った花束から一つだけ、自分が持って行き、残りはピアノにあげた事。
『ピアノに感謝!』と言う粋な心が思われたのだった。

いずれ、天国で、ショパンやリストには会える。
一人でも多くの人に、感動を伝える宿命を背負って、ピアノに対して、生き物の様に接する人。
ピアノを制するのではない。
何て、カッコ良いんだろう!
数少ない、本物と言える人だと思う。





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by sea1900 | 2006-05-13 00:03 | 人間