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海の上のピアニスト

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「花より工芸」 in東京国立近代美術館工芸館


5月21日まで、国立近代美術館工芸館で「花より工芸」が開催されている。
私は3月に一度、訪れている。
四谷シモン氏の「解剖学の少年」は、胸のふたがあいていて、内臓が見えているが、少年の表情は、涼しげで遠くを見つめているような物。
吉田良(スグリ)さんの、赤い着物の少女は妖気を漂わせている。そして、これらの人形・球体関節人形の大きな源流とされるドイツのハンス・ベルメールの組写真が壁に掲げられている。
ベルメールの写真は、見れば見る程、奇妙で、他にはどんな写真があるのだろうかと、パリのポンピドーに思いをはせた。でも、特に見たいと言う種類の物ではないけれど。。。。

創作人形展で見かける,妖気を前面に押し出している人形を良く、見かけるけれど、私は好きではない。どうも、コピーのような気がしてしまうのだ。

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「工芸」越えた人形
人形が、工芸ジャンルだけにくくりにくい広がりを秘めていて、更に視野を広げると、人体像は「彫刻」としても
作られる。彫刻はむろん工芸ではなく、「美術」の一ジャンル。人間の姿をかたどることはおそらく原初的な欲求に
根ざし、美術と工芸、彫刻と人形の線引きはさほど簡単ではない。
だが、国立近代美術館の工芸館のコレクションに加えた以上、工芸館としては(木田拓也さんは)、アート界における作者の
位置、さらに、「モノとして訴える力、手応えのようなものが判断基準になる」と説明する。
時代の流れも関係するという。シモンさんらの作品収集は、コレクションのあり方の変化も映し出している。
           2006、4月13日 読売新聞から

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美術>工芸>彫刻>人形 と言う形になり、最終的には人形は美術という枠を超えて芸術に至るのだと思う。
人形と言っても、そのテクニックや表現には奥の深さがあって、製作には時間を要し、職人根性を持って望むので表現者としての喜びや苦悩を、作者自身の中で消化しながら、最終的には昇華出来るまでの長い道のりをコツコツと歩む事は、現代文明に反比例しながらも、先の文にもあるように、人間的な欲求なのだと思う。

そういえば、原初的な欲求と言う言葉で、思い出される事があります。私が良く通った南洋の島国では、時間さえあれば、島の人々が、日陰に集まって、彫刻をする事でした。その作品は、建物だったり、海の生き物だったり、人だったりと、身近な事を記録するかのように、ひたすら彫り続けるのです。既に、習慣化している訳ですが、人間の姿として考えると、原始的な壁画の意味と同じなのだと思う。






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by sea1900 | 2006-05-08 00:01 | 現在

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