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海の上のピアニスト

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『バルタザールどこへ行く』



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昨日の午前中に、映画マニアから送られて来た、『バルタザールどこへ行く』を観た。

1964年の白黒映画で、無彩色というのは、綺麗なカラー映画よりも、心に重くその内容がのしかかった。そういう意味では、色彩に惑わされる事無く、集中できた。

バルタザールと言う名の、一匹のロバの一生と、マリーの生き方を対比するでもなく、ただ、並行に描き、不良少年ジェラールのマリーへの思いの裏返しを、バルタザールとマリーの間に描いているような気がした。

バルタザールは洗礼を受け、次々にやって来る、決して幸せとは言えない状況を、受け止める。
この辺は、キリストの姿を連想させられる物だ。バルタザールと言う名前は、聖書に伝えられる聖者の名前だという。
全く、無駄の無いカットや、最小限のセリフで、話が流れている。
むしろ、無駄が無いから、印象的なのかも知れないし、ハラハラと、先が読めないスリルに、冷や汗が出た。そして『鋭さ』が、緊迫感を増した。


不良少年ジェラールの罪は、この映画の中では、誰にも問われていない。誰もとがめていないのだ。
フェリーニの『時計仕掛けのオレンジ』にも繋がる様な悪なのに、なぜだろうか?勿論、現在の悪にも繋がっている。『悪』は、永遠になくならないという暗示なのだろうか?

マリーの失踪、マリーの父親の絶望死、残された可哀想な母親、そして、バルタザールの羊に囲まれたラストは、とりわけ重い。羊が登場すると、何故か、神聖な物を感じてしまうのだが・・・
話全体が、厳しくて、悪や善を描きながらも、罪と罰は描かれていないようだ。

粉やとマリーの会話は全体の中にあって、別世界の様に映り、印象深かった。
粉や役のクロソウスキーが、存在感を見せている。

最初、私はロバの一生に、人の人生を重ねているのかと思っていたが、それだけではないようだ。世の中は不条理なのだとも聞こえるし、それが当然だとも聞こえる。

そして、バルタザールの眼や、足だけの動き、マリーの裸の後ろ姿等が、ぐっと突き刺さって来た。結果から想像の付く断片的な映像は、それだけで十分だ。

一から十までの説明や表現は、観ている人の思考能力を退化させてしまいそうだから。

この映画をキリスト教映画だと言えば、そうも言えるだろう。
世の中の不条理を描いていると思えば、それも良いだろう。
シンプルに、ロバの話だと思えば、それも良いだろう。

どう思ったとしても、ロベール・ブレッソンの静かな語りは、きっと、伝わるだろう。
誰にでも、きっと!








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by sea1900 | 2006-04-23 02:44 | 映画