桜の季節に思う
昨日は、市内の中学校の入学式があり、フォーマルウエアのお母さん達を、たくさん見かけた。
春めいた白っぽいスーツ姿が、圧倒的に多い。
こうして、桜を見る春に成ると、春なのに、高校に入学出来なかったRの事を、思い出す。
Rとの出会いは、何年も前の時で、この時、Rは、知人の娘だと、あまり無い名字から知る事と成った。
Rはその時、まだ小学校の4年生で、当時を知る人から、とても活発で、勉強も良く出来て、生徒会でも活躍している優等生だと聞いていた。
ところが、それから何年か後の中学生になると、学校を代表する悪に成っていて、3年の2学期頃からは、学校には寄り付かなくなったそうだ。お昼の給食だけには現れたりしたと言う。
私は、父親も母親も兄も、共に、真面目できちんとした家庭に何が起きたんだろうかと思った。
問題はお母さんの性格に合ったようで、余裕のない生活が原因だと、Rは同級生にこぼしていたそうだ。<こぼすくらいなら、自分で、何とかしろよ!甘えてるんじゃない!>とも、思ったが、あのお母さんと、毎日顔をあわせて暮していると、やはり、おかしくなるだろうと思えた。
環境、特に身近な人間の影響は子供にとっては計り知れない重さがあるだろう。
例えば、Rが夕飯のおかずをお代わりをしたくても、カロリー計算から、お代わりは必要ないと言うお母さんなので、自由に成れないと言う苛立ちが毎日、重なったようだった。
息が付けなくなったら、どうする?
そりゃあ、もう、もがくしかないのだった。
Rは結局、高校には、内申書が悪くて、何処にも入れなかった。
桜の季節の今、どうしているのだろうか?
もう、Rは21歳になるが、Rの人生は、小学校で止まっているような気がするのだ。
ごく普通に生きられないRを思うと、子供の心のデリケートさも併せて、良い大人にも出会えなかったのだと思う。
しかし、これから更正すれば、まだまだ十分に間に合うのだからとエールを送りたい。
桜の季節をスタートとして、自分を見つめなおして欲しい物。
友達とか親とか、そんな事考える前に、自分が大切だって事を、早く、知れば良い。
こんな時、本当に好きな事があると、人間は強く成れるけれど・・・・・・・
* * *
この話と並行して、最近気が付いてびっくりしているのが、例えば、小中学校のクラブ活動も、子供が自由に選べずに、親がどのクラブに入るかを決めているケースが多い事だ。
勿論、高校進学や大学進学にも、本人の希望ではなくて、親の好みで決めている家が多いのだ。
子供もおとなしく親の言うなりに成っているが、自分を表現出来ないもどかしさを、心に重ねるだろうと思われて成らない。
話も一方的だと、会話とは言えない。
身近な所に、家庭内断絶が多いって事を感じた日だった。
知人の息子は、大学を卒業したら、本当に学びたかった勉強を別の大学に自分のお金で入って、やりたいと言う。
それも良いとは思うが、4年間と言う時間は何の為に在ったのだと思うと、その大学にしか進学を許さなかった親達のエゴが浮き彫りに成る。
不憫だと思うが、やっと親から開放される姿は、自由以外の何者でもないのだ。
だけど、変だよね!こんな話。。。。。。
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