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海の上のピアニスト

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『ブロークバック・マウンテン』

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やっと、レイトショーで鑑賞出来た。
これまでに、先入観を持ちたくなかったので、レビューを読まないでいた。
ロケーションと音楽のバランスが、20年間と言うイニスとジャックの愛の話を、ゆったりと自然に溶け込むようにしている。素朴な爪弾きが、イニスの素朴で、不器用な性格を現しているようにも思えるし、最初から、イニスを意識していたジャックの、素直な愛を表しているようにも思える。

携帯も無い時代に、手紙という連絡方法は、時間と距離を繋ぐ物で、情緒がある。まして、最後のはがきに押されたスタンプは、遠い地でのジャックの出来事をやっと、教えてくれている。

ジャックは初めから、イニスを意識していて、素直な思いをぶつけているが、イニスは同性を好きに成る自分を認めたくないのだった。それは、子供時代のゲイバッシングがトラウマに成っていると言えるし、宗教上の教えも刷り込まれている。イニスが自問自答して悩みながらも、それらの思いを乗り越えて、自分の性に従うシーンには、一つの山を乗り越えた思いに成った。

しかし、その後、目の前にした、襲われて死んだ羊には、今後の『犠牲』を暗示しているのだと思う。山に対する『いけにえ』と、考えても良い。または、<天地創造>のいけにえを引用しても、つじつまが合うようだ。
ブロークバック・マウンテンが架空である事を考えると、2人の愛は、今後の2人の茨の道を表しているのだと思う。架空という事は、この地が2人にとって、桃源郷的な意味合いを持つのだった。そして、付け加えるならば、そこは、<夢のまた夢>の様な場所だと思う。
それだけに、同性愛者への批判が強い時代にあっての、愛の深さを思った。障害が2人をむしろ強く結び付けていたのかも知れないし、20年間は、重い。
思っていたよりも、きわどいシーンが無くて、必要最小限だったのは、良かった。
ジャックは、直感的にイニスを好きで、直線的なのに対し、イニスはジャックを知る事で、開花していくのだった。ジャックがオフェンス、イニスがディフェンスで、最後のクローゼットの中にあったシャツに出会うまで、変わる事が無かった。
しかし、シャツの思いを知って、イニスは静かなオフェンスになろうとする。
一見、明るくてノー天気なジャックの方が、イニスよりも、はるかに愛する故の苦悩を抱え込んで生きていた事が解る。しかし、愛は、異性間であっても、同性間であっても、悩み、傷つき、放棄出来たら、どんなに楽だろうかと思う時がある。誰も傷つけないですむ訳ではないし、愛する葛藤が心の中で、波紋を広げてしまう。

本当に強い人間は、表面上は静かな人だと思う。これは、私の持論だが、正に、イニスにも当てはめられると思う。
理屈ではなくて、経験から実感して、自分の宝として行くイニスにとって、20年間の歳月は、重くて切ない。

2人の妻のタイプが面白い。アルマはジャックを愛するイニスを許せずに、彼から去って行くが、ラリーンは、事実を知っていても、知らぬ顔が出来る。おそらく、ラリーンは気が付いているはずなのに、あえて、知ろうとしない。平静を装えるラリーンは、ジャックの居場所をキープしてくれている。愛情の深さと言うよりも、愛情の形を考えている結果だろう。愛の深さは、その表現に因って、いくらでも、変化してしまうのだから。アルマの愛は、ストレートで、ゆとりの無い物だと思うと、アルマの哀しみよりも、アルマの怒りを感じてしまった。哀しみの最大の変化球は、憎しみだ。愛する故の憎しみは、憎む事で、愛する事をやめないのだ。
本当に、愛せなくなると、相手への関心さえ無くなる。
ジャックの家庭と、離婚した後、再婚したアルマの家庭の食事の対比シーンは、時間の流れを描き、その後のアルマのイニスへの言葉が、まだ、イニスを愛している事を示している。相手をなじったり、批判する事だけでも、実は、まだ、イニスを愛しているのだと感じられる。
だから、アルマにとっては、ジャックが男性という事よりも、イニスに愛されている人という認識だと思う。



アルマ役のミシェル・ウイリアムズについての演技の評価は高いが、むしろ、私はラリーン役のアン・ハサウェィの演技に拍手を送りたい。歳月と共に、厚化粧でハデになるあたりが、アメリカ的なのか?

濃厚なストーリーだと思っていたが、実は水彩画のような映画で、さらっとしていた。それは、平坦な道のようで、灰汁の無い物だと思う。

撮影はカナダのアルバータ州で行われたと言うが、壮大な自然に包まれて、自然と共存するような形の羊追いの姿には、元々、西部の男達は会話が少ないと言われている理由が解るような気がする。
神様が作ったとしか言いようの無い自然の前では、自然を享受する事で、ただ、精一杯になるのだろう。たくさんの羊が歩くシーンは、感動物だった。しかし、それを、牛様に使われるオーストラリアン・キャトル・ドッグが追うので、ややびっくり!実用性を重んじるアメリカならではの姿なのだと思う。(この辺はどうでもよいけれど。。。)

初めは、朴訥としたイニスの苦悩に眼が行っていたが、最後には、ジャックの苦悩がクローズUPされる。ジャックの苦悩は、イニスのそれとは、別な所にあって、中身も違う。
例えば、このストーリーが、男女間の物だとしても通じるのだから、あくまでも、この作品はラブストーリーという事に成る。しかし、保守的な時代にあって、ジャックの死が、2人を離す事なく、むしろ永遠に別れる事のない愛へと、昇華させているから、この後、イニスが孤独に生きていくだろうとしても、心の中では、満ち足りた思いを抱えていくのだろう。イニスのクローゼットに貼ってある一枚のはがきの写真が、そんな思いを凝縮させている。
壮大な山々が、小さな写真に収められた時に、初めて2人が愛し合ったブロークバック・マウンテンが、それまでの思い出よりも、大切な一コマで、かけがえのない神聖な山々であった事を思い出させる。
そして、生き物を包み込んでいる温かさを、見出せる。
山々を人間の支配下に置くのではなくて、あくまでも、謙虚な気持で、山々を敬う気持が、アン・リー監督に見えてくる。

世の中に存在する少数派の人を、自分の立場を優位に保つ事だけに死守しようとする人間は、実は多い。人種差別もそうだし、同性愛者に対する見方もそうだ。
しかし、人間は誰もが死ぬ時という最後を迎える。それに比べて、自然はどうだろう。

ジャックとイニス、そして山々の姿は、<永遠>というテーマを持って、語りかけているように思えた。ジャックの母親の、戸惑いを超えた優しさが、心に突き刺す。父親の愛も、観る人に温かさを与えている。ここにも、限りない愛がある。
人は、自然から大きな物を学んで、最後には自然に帰って行く。
魂だけは、もしかしたら、ブロークバック・マウンテンに残したまま。。。。。。


アン・リー監督の、『愛』へのこだわりが、、144分間と言う時間を、永く感じさせない。
脱帽だった。監督自身、差別を感じて生きている事は在るのだと思う。
人間の優しさが欠落しているような登場人物の中にあって、何て、ジャックとイニスは孤独なのだろうか?

アメリカの保守的な所では、上映出来ない映画を、こうして観る事の出来た喜びはかけがえのない物だった。

ラストのシャツを重ねると言う上手い演出は、ヒースが演技中に考え出した物だそうで、このシーンが、映画の中で、ジャックの愛、イニスの愛を感じる物で、素晴らしいと思った。
<なかなかやるな!ヒース君>






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by sea1900 | 2006-04-05 03:17 | 映画