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海の上のピアニスト

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力を入れすぎないblog  それなりに暮す毎日

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16日の夜に亡くなったトンを,次の日にペット霊園に託して置いたので、今日、私は弟の
運転する車に乗って、骨を受け取りに行って来た。

車で約1時間以上係る田舎の山地にあり、眺めの良いきれいな所だった。

犬友達の犬も、何匹か眠っている墓地で、共同墓地の他に、個別の墓地が段上に
あり、遠くから観ると、花がたくさん飾ってあって、とても綺麗だったが,近づいて見ると
それらの色とりどりの花は、皆、造花だったので驚いた。

段の最上階には、知人の家のペットの大きな墓があったが、知人は犬をそんなにも
大切にしないのに、墓には100万円もかけている。

感覚とお金の使い方の違いなので、その人の自由なのだけれど、私なら逆のお金の
使い方をするだろう。
やはり、生きている時に、お金は使ってあげたいと思う。

死んでから、形式的な事柄にお金をかけるのは、自己満足以外の何者でもないだろう。
自己満足と言うよりも、見栄だと思える。


知人のお父さんが亡くなった時に、お父さんの遺言を守り、葬式はしないで、お父さんの
作った家のモデルや愛読書を囲み、皆で偲んだそうだ。

良い遺言だと思った。そして、残された家族の思いが伝わる出来事だと思えた。

昨年、私の母が急死して、すぐに葬式と成ったのだが、様々なショー的要素が加え
られてしまい、(弟が決めて葬儀屋に頼んでいたのだが、)私は呆れてしまい、しらけ
てしまった。そして、死化粧が派手で、別人の顔に成ってしまい、これを親戚一同に
公開しながらやるというシステムに疑問を抱いた。

更に嫌だったのは、プロの女性に依る母の着替えで、病院で浴衣に着せ替えて
くれていたのに、その上に軽い布団を掛けて、見えないようにして、白い着物に着せ替え
たのだった。
まるで、ラストショー。
ここまでしなくても良い物をと思った。
田舎芝居の役者のようにされた母が、不憫だった。


葬式は他人から観ると、単なるイベントに過ぎない。
しかし、家族から観ると、あくまでもお別れの時で、静かに過ごしたい一時でもある。



そんな事を思い浮かべながら、トンの骨は骨壷から出して、庭に埋めた。
いつの日か、人間も動物も土に帰る。

安住の地は、土の中かの如く、土に返るのだ。


やはり、大地は原点なのだと思った。
土地と言うのは、唯一、不変の力があるとも言える。





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by sea1900 | 2006-02-19 16:10 | 現在