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海の上のピアニスト

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『ヒトラー~最後の12日間~』

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ドイツ人のオリバー・ヒルシュゲール監督が描いた『ヒトラー』の、最後の12日間
は、戦後60年経った今、こうして甦ると、実に生々しい物だ。

ヒトラーの最後の秘書、当時22歳だったユングが身近に見たヒトラーは、女・犬には
優しい一面を覗かせながらも、総統としての姿は、カリスマ的であり、神秘性さえ放って
いた。

地下の建物の中でのシーンが多いので、時間の経過がはっきりとは解らずじまいで、
子供を薬殺する母親には、戦犯の宿命を感じた。
『未来への希望』の姿としての子供達の死は、ナチスの死であり、終焉だ。
永過ぎるシーンだと思ってみていたが、今、思うとナチスの終焉をダブらせていたのだと
思えた。

対照的に描かれていたのは、それまでヒトラーに傾倒していた少年が、ユングの手を
取って、ロシア軍人の間を通り抜け、野原まで逃げ切り、自転車に2人乗りして
戦いの終わった田舎道を走り抜く姿には、明るい未来を感じる。

少年の心理の変化は、ドイツ人のそれと重なる。
ただ、少年の眼を通すと、正直で、率直でもある。
『はだかの王様』ではないから、これがドイツ市民の声だったのだろう。

この辺の子供を使った表現は上手い。


ヒトラー役は、『ベルリン・天使の歌』で、天使役だったブルーノ・ガンツが成り切り、
自己陶酔から狂気の世界への足取りをしっかりと見せている。

秘書ユングは、当時の若者にありがちな有り余る情熱を、ヒトラーに賭けていたのでは
無いだろうか?
ユング以外にも、非常時には、<信じる者は、救われる>と言った救いを一人の人間に
見出す事で、生きながらえたのではないだろうか?


最後に、実在の人物のその後の説明と、ユングの話が続いた。

ユングは語る。
自分は当時、若かったので、知らない事も多かった。
しかし、若い事は理由には成らない。

一人の人間を語る時には、一言では言い尽くせないし、その人の多面性を思うと
切がない。
しかし、総統とも成った人間の成し得た結果を見ると、
多くの人間を戦死させ、600万人のユダヤ人を殺したヒトラーは、許されるはずも無い。


しかし、ヒトラー亡き後、国外に逃亡して生き永らえた戦犯の生き様を思うと、
これこそ、『愚の骨頂』であり、(愚骨頂ではないので。)もしかしたら、ヒトラーを上手く
操っていたのは彼らだったのではないかと、あらぬ、想像をめぐらしたりしてしまう。


一つのヒステリーとか、一つのパニックが発端と成って、ナチスが生まれたのでは
無いだろうか?
ヒトラーの敵は、全世界だった。
確かに上手いコピーだとは思う。

しかし、良く考えれば、一人のカリスマ的指導者を作り出してしまった国民にも、
非が全く無かったとは言えない。

そういう時代、そういう運命だったと言う諦めにも似た感情は、決して前向きではないし、
亡くなってしまった人間への敬意も払えなくなってしまう。

どんな時代にあっても、『時代を知る』事は人間の義務であり、知らない事は罪なのだと、
ユングは語っている。

『知る』というのは、最も人間らしい感情の芽生えかも知れない。
過去を思い、現在を思い、未来を考えた時に、人間の愚かしさが、
人間を滅ぼさないようにしなければ成らない。


映画『アドルフの画集』では、画家になれなかったヒトラーの、政治への野心や、
画商の悩みが描かれているが、これとて、画商一人の力では、どうにも成らなかった
だろう。


映画の一つ、一つに込められたメッセージをどう、受け取るかは自由だけれど、
映画は、一つの芸術であり、一つの記録でもあると思う。

この映画は、ドイツ国民も全世界も不幸だった時代の記録だと思う。




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by sea1900 | 2006-02-15 14:31 | 映画