ブログトップ

海の上のピアニスト

sea1900.exblog.jp

力を入れすぎないblog  それなりに暮す毎日

『 パリ・テキサス 』


d0063550_3382551.jpg


その時、男は言った。
「あんまり、好きに成りすぎると、何も手に付かなくなる。」

女は、そんな男の愛を嬉しいと受け入れながらも、疑問が生じてくる。

<私への愛って、私を独占する事なの?>

女は男に聞いた。すると、
「独占して。何が悪いんだ!」

女は、解らなくなる。

男は『愛』だと言う視野の中での暮しは、次第に自由がなくなって来ている。

逃げられないゲージの中にいる様な生活が、果たして本当に幸せなのか?


女は次第に、男から離れたいと願うようになる。

息が楽に付ける、普通の暮らしがして見たいだけ。

男は日々、嫉妬深くなるばかり。

女は、限界を感じ、去って行った。


男は女を愛したのではない。

ナルシスト!そうだったのだ。

男は女を愛している自分を、最高に愛したのだった。

女が大切だったのではない。

あくまでも、一番愛しているのは、自分だった。


愛する事で、プライドを捨てて、ヨロヨロニ成った男を愛する自分。


女は、素早く、それに気づいていたのだった。

苦しすぎるから逃げるしかなかったのではない。
女への、本当の愛が見つけられなくなったから、去ったのだった。



この話しは、私個人の物で、『パリ、テキサス』と、オーバーラップしている。



男は如何して、女が去っていったのか、理解出来なかった。

マジックミラーに映る男の顔が辛い。
女は辛くて消える。

この一瞬で、男と女の間にある、越えられない物を現している。

ヴェンダース監督の鋭さが、恨めしい程に切ないシーンだった。



人生は過酷だと思うしかなかった時、ボロボロになりながら、
味わった深い喪失感と脱力感は、私の心には消耗が激しかった。


軽い恋愛しか知らなければ、こんなに辛くはなかった。

愛しすぎる愛を知った物だけに、与えられる現実だった。

そして、男から去った自分は、開放感に酔った。
しかし、その気持は、男への裏切りだと心が痛くもなった。
またしても、辛い。



『パリ・テキサス』を観た時に、じっくりと泣けて涙が止まらなかった。

これを観て、泣けるのは本当に、深く愛し、
                     愛され、
                     悩み、
                    悩み抜き、
                苦しんだ者ではないだろうか。


余りにも、素晴らしい作品だったので、辛い思い出と重ねて、
自分の心に封印してしまっていた。


それは、何年も何年も・・・・・・・・・・・・・


ナスターシャ・キンスキーの眼が忘れられない。


(涙が止まらなくて、この時間になってしまいました)
何もない人生が良くないなんて、誰が決めたんだろう!

私はこの恋愛から去って、永い時間を費やして、過去の出来事と
思えるようになった。




→クリック御願いします。
[PR]
by sea1900 | 2006-01-08 03:32 | 映画