ブログトップ

海の上のピアニスト

sea1900.exblog.jp

力を入れすぎないblog  それなりに暮す毎日

『報道の魂・三島由紀夫』




『報道の魂』 英霊漂ふ  三島由紀夫自決 35年目の夢枕
                              深夜1:20~1:50


当時、楯の会ナンバー2だった本多清は、生き残った。早朝、時々刀を振る。三島から直接真剣を渡されていた。いつでも死ぬつもりであった。周りから三島の「片腕」と言われ、いい気分だった。

しかし、三島由紀夫の「決起」計画では、外された。隊員の内、彼にだけ遺書があった。三島文学よりわかりにくい言葉が連なっていた。言い訳としか感じられなかった。なぜなのか・・・今でも引っかかっている。ずっと考えている。楯の会が解散しても、第二楯の会を結成したこともある。

本多は、実業の道を歩んだ。しかし、苦労は多かった。楯の会の仲間に頼まれ保証人となる。6000万円の負債をしょった。年月が経ち、あれこれ考えている時に思い当たったこともある。2・26事件を巡る見解の相違。

三島由紀夫は先生である。ほとんど考えは一致しているのだが、こと2.26事件となると、くい違った。

三島由紀夫にとっては、青年将校は少年期よりの英雄である。しかし本多は、人を殺した決起を認めていなかった。祖国を防衛するために楯の会に入ったのだ・・・。
そんな言い分を直接ぶつけたことがあった。

2・26事件に入れ込んだ三島は、逆に、英霊たちに、魅入られた!少なくとも、美輪明宏はそう見ていた。事件の年の正月、南馬込の三島邸で、美輪明宏は、三島の背後に青年将校の霊を見た!「磯部浅一」の霊。死刑となった青年将校の中で、天皇陛下万歳を叫ばず、呪いの裡に果てた磯部。磯部が憑いている。美輪が言い当てるのを本多は見ていた。

磯部の霊に突き動かされたからなのか。三島由紀夫自身も納得した。青年将校の呪詛を描いた「英霊の声」では、三島の手は勝手に動いたと三島は語っている。

話を戻すと、2・26事件での見解の相違こそが本多が決起から外された理由だったのか。それを問題にしたのは、三島なのか、あるいは、憑依していた磯部だったのか。三島に問いたい思いが募る。

33回忌も過ぎ、弔い上げも終えた。三島の魂も落ち着いているものと思われる。なぜ、私は外されたのか。
ある日、本多は「英霊の声」の趣向そのままに、霊媒のもとへ旅立った・・・・・・。




= 出 演 =
元楯の会ナンバー2 : 本多清
最後のインタビュアー : 前田宏一
18年来の友人 : 美輪明宏
文壇の最大の理解者 : 佐伯彰一東大名誉教授
三島由紀夫写真集のカメラマン : 細江英公
三島由紀夫映画「みやび」監督 : 田中千世子

その他

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日のakaboshiさんの記事に、この番組の紹介がなされていた。

そして、さっき、それを観終わった私は、三島由紀夫という人は、

頭が良くて、プライドも高く、すでに、やりたい事があるとは思えな

かったので、死ぬ事を考えていたと、私は思っていた。

番組の中では、若く、美しい夭折に憧れていたと言う。
                           (細江氏)



 全てに置いて、計算しつくされていたのに、計算されていたはずの

ノーベル文学賞も、芥川賞も貰い損ねたという、思いも在ったのでは
ないだろうか?

後半の人生は、純粋故の狂おしさが支配していたのだろう。

自分に自信の或る人の、陥りやすい点でも在ると思う。

そう、挫折を知らない人間は、一度の挫折にも弱いものだ。

楯の会のメンバーは、事件後は、大体がサラリーマンとなったようだ。

三島由紀夫の作品は、死に方・結末を考え抜いてから書き始めるのが

常だったと言う。(現東大教授・佐伯彰一氏)

楯の会では、三島と共に亡くなった森田と、2人で会を束ねていた倉持氏

は、どうして、自分は自決の日に、外されたのかを考える。

それは、2・26事件を起こした磯部浅一という青年将校の存在にとりつか

れていた三島に、倉持氏は、

「2・26事件の決起では、無駄になる」と言った事があったので、その事が

大きかったのだろうと語っている。


現在の本多氏(倉持氏)が自然環境に関する事業をされている事が

時代の流れを感じた。

そして、当時の三島の年齢よりも13歳永く、生きているという事は、

やはり、色んな考え方を理解出来るようになったのだと思う。

そう思うと、三島の生き方は、華々しく芸術的かもしれないが、やりたい事

だけをやれた数少ない人間なのだと、思えて成らないし、そういう運命に

あったのだろう。

三島の死が投げかけた輪は、35年経った今、甦っている。

日本と言う国を思った人間の一人が、三島由紀夫だったと記憶したい。


しかし、考えてみると、凡人の方が遥かに人生の哀楽を知り、

普通に暮らす事が出来るので、人間としては、幸せだと思う。


番組は、30分と言う枠にあって、よく企画されていたと思った。






→クリック御願いします
[PR]
by sea1900 | 2005-12-05 03:27 | 人間