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海の上のピアニスト

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「メゾン・ド・ヒミコ」と「いぬのえいが」

一口に映画の感想と言っても、観た人の実年齢、経験、好み、趣味、などに
よって様々だ。
例えば、昔観た「地獄の黙示録」を去年、見直したら、よく理解出来たし、あの
中に出てくるフランス人の農民は、どうしてベトナムで暮らしていたか?とか
、「おもいでの夏」では、どうして若い主役をベッドに誘い込んだのかとか?
そいうい見た当時には、何だか解らなかった事が理解出来るようになった。

だから、もしも、「メゾン・ド・ヒミコ」を20歳位の若さの人が見たら、ただのゲイ
の話に、オダギリジョーと柴咲コウが出ているだけの映画だと受け取るだろう。

監督の年齢も作品には関係すると思う。
若いだけでは、勢いはあっても、様々な感情がMIXされずに、偏りそうだ。
その偏りが、一つの強さでもあるけれど、感動を与えるにはやや青い。

円熟期を迎えた監督の良さは、全てを飲み込んだ強さかもしれない。
包容力や、我慢やディフェンス的な強さではないのだろうか。

そう思うと、45歳の犬堂監督がヒッチコックのように、ちゃっかり登場した
「いぬのえいが」は、新鮮だった。
時を越えた犬との話しで、まだ観ていない方には、オススメだ。

善と悪、ちょっとした意地悪を描いているのだったら、時空を越えたこの主役
の犬の存在は面白い描かれ方をしている。

「いぬのえいが」は、オムニバスなのだが、流れが良くて立ち止まりをする事を
許さないように思えた。
そして、最後の詩では、ぐっと泣かせてくれた。
この詩を読むと、当たり前の事が書いてあるのだが、映画の流れから、涙が
溢れるのだった。

つまらないだろうと思って借りたDVDが、実は素晴らしい作品だった。

話しを戻して、「メゾン・ド・ヒミコ」の中では、青山さんの山崎の姿が心に残って
いる。ルビィはあくまでも演技を追求した姿として残るが、青山さんは、女心を
くすぐるどころか、沙織に助けを求めている姿に、女ならば、手を差し出し、
その手をぐっと握って、離すものか!と思わせてくれる可愛さを持っていた。

いくら男だって、可愛さがなくちゃあ、私は嫌になるので、
つぶらな瞳がそう思わせてくれたのか?不思議な映画上での対面だった。


全員集合の食事シーンは、性欲に対する一つの対抗シーンのように、
大切な食欲シーンとして、登場するが,この2つの欲に対する人間の姿が
あくまでも、ごく普通のシーンとなるのは、どの一方も、欠ける事が出来ない
事を現しているのではないだろうか?

老いや病気、恋や失恋、死や思い出などが、何も特別な事ではなくて、ごく
普通の出来事なのだ!という認識の下に、」ゲイという特別ではない生き方の
姿を描いたのだろう。
だから、ゲイの焦点を当てているのではなくて、たまたまゲイだった父親と
離れていた沙織の姿や、沙織と春彦との愛、そんな人を愛する話しなのだ。
それが、当たり前の姿として、描かれている。

心優しく生きる事が出来れば、それに越した事はない。
普通の中の普通の生活(何だか、akaboshi さんみたいだけど)を単に描いて
いるのかも知れないと、今日、思えた。

普通の暮らしの中から見える事には、普通の感覚と普通の幸せがあるのでは
ないか?
「いぬのえいが」をダブらせると、極静かな、普通の暮らしが大切なんだと
思えて成らないのだが・・・・・

そう思うと、沙織が細川に憧れを抱いたり、春彦とキスをしたり、
ヒミコが「好きよ」と言うシーンは当たり前の事だし、特別な進展ではない。
普通の流れから来る普通の事、とりとめのない事なのかも知れない。

そして、そうやって人は生きていくんだと言うような話しではないだろうか?
犬も年を取れば、寿命があるのだし、成るべき時は来る。
その時は、ただ静かに老兵は死んでいく。

そして、また新しい時代がやって来る。
そういう命の繰り返しを大きく「メゾン・ド・ヒミコ」
に重ねてみた。





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by sea1900 | 2005-10-25 23:58 | 映画