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海の上のピアニスト

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力を入れすぎないblog  それなりに暮す毎日

男と作る料理

カレーを作りながら、私はO君と2人に共通する20代の女子の話をした。
この人はSと言い、真面目で厳格な家庭に育ってはいるが、家庭内で、
大切な会話と言うものがない。父親が若くて、ワンマンで家庭の中に
おいては、ヒットラー的存在なのだ。
私と会った時、私が2回、「こんにちは」と言っても、返事がなかったと
言う今時、大変珍しいお方!(不愉快だった)ヒットラーだって、挨拶は
したんじゃないだろうか?と関係ない発言もしたい。



Sは、長女で父親の話を100%受け入れる事で生きていているので、
目上の私の話にも実に素直ではあるのだが、これはただ、素直というよりも
服従しているだけだ。

服従とは、本心から納得した物ではなくて、抑圧を感じる響きになる。
ああ、広辞苑をひくべきなのだろうけれど・・・・・

Sは抑圧されている表情をしていて、伸びやかさがないし、明るさがない。
で、カレーを作りながら、O君と私は、心や気持があると、顔の表情は
どうなるのかと話した。
例えば、Sが嬉しいという気持を表現しなかった時、これは、嬉しいという感情
があっても、、表現能力が欠落しているのかどうか?という話になった。

O君は、Sをいつも見ていて、ふくれっつらの様なお顔に、嫌気が差して
いるので、「気持があれば、もっと明るいんじゃないですか?」と言う。
確かに心があれば、その喜びや楽しさは、にじみ出てくるのが普通だろう。
しかし、あの育った家庭環境から思うと、もしかしたら、Sは思ったことを
ただ、表現できないのだと思ってやりたい気持が、私の心のどこかにはある。

そうは思っても、やはり、実際にあのお顔の前では、私も考えてしまった。

自分をコントロールするという事まで行かなくても、自分の感情を素直に
出せたなら、自分自身も伸び伸び出来るし、楽しいだろう。


遺伝的なのか、環境から来るものなのか?

それで、私はO君に言った。
「Sが普通のにこやかな女性になれるまでには、これから20年はかかると
思うよ!だけど、それだって同じ環境で暮らしていて、父親と一緒だったり
すれば、変わらないと思うよ!」と。

そういえば、私は小学校の時には無口だった。
それを変えたのは、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」だった。
この本を通して、担任の先生に心を開きだした小5の冬。
藤原ていさんの「流れる星は生きている」を読んだ感動。
そんな小さな出来事が、自分の心を変えてくれた。
そして、淀川長治さんの映画の感想が好きで、楽しい事、好きな事が
世の中にはあるのだという感動が、私の意固地な心を解き放ってくれた。

だから、チャンスは在ると思う。
このSが心から喜びを感じるチャンスは。

ただ、それを感じた時に、人にどう伝えたらよいのかは、本人の向上心と
努力しかないのだろうと思う。

O君、そんな風に思います。
でも、女性としてはとても損だし、良くないですね。

私は明るい女性が好きなので、多少問題があっても友人には成りたいと思う。
でも、顔がこわばっている人とか、暗い人は敬遠している。
やはり、フレンドリーなのが最高だと思う。

このフレンドリーという事は、人と人との心の壁をも、取り壊してくれる物。
O君、君は、きっとそんな女性にめぐり会えるんじゃないだろうか?
今、こうして私と考える事は、無駄にはならないぞ!


しかし、ベートーヴェンの曲には明るさがないなあ!



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by sea1900 | 2005-10-24 10:48 | 現在