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海の上のピアニスト

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to REAL LIFE・小野田さんの本




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-経緯-
昭和47年2月2日午後2時15分、グアム島で、漁民に発見され救出された横井庄一元陸軍伍長が、日航臨時便で31年ぶりに日本に帰国した。記者会見で「恥ずかしながら生きて帰ってまいりました」の第一声は当時の流行語となった。また、その二年後ルパング島で、小野田寛郎元陸軍少尉が発見され帰国。戦後の問題は、まだ解決していないことを改めて国民は知った

-二人の終戦-
横井さんは戦争当時、第29師団に配属され食料・弾薬を運搬する部隊にいた。昭和19年、米軍がグアム島に上陸してきた。圧倒的な米軍の兵器の前に日本軍は敗走。戦闘時2万人いた兵力はすでに3000人となり戦闘継続は困難な状況であった。投降を呼びかける米軍に、当時の指揮官である佐藤少佐は、これを受け入れる。不幸であったのは、横井さんの部隊は佐藤少佐の直接の指揮下ではなかったため、投降命令伝達が伝わっていなかった。横井さんは2人の部下と共にジャングルの奥深くで潜んでいた。

帰国を果たした横井さんは、記者会見で「終戦は、米軍が落とした宣伝びらで知っていたこと、もし出て行ったら軍法会議で処刑されることを恐れていた」ことなどを話した。
日本に帰国した横井さんは、31年ぶりの340万7404人目の復員者であった。


8/7に小野田さんの本のご紹介がありましたので、
8・15が近いので、ここに書かせてもらいます。

まず、横井さんがグアムで発見されましたが、横井さんはTVで見ると、
普通のおじさんでした。
その後にルバング島で発見された小野田さんは、
気骨ある軍人のイメージが強くて、中野学校にいた人だと知ると、
尚更だと思われました。

映画「シン・レッド・ライン」で、日本人が出てきます。
この映画は、太平洋戦争で、皆,痩せています。
当時の日本人の兵隊さんが、気骨だけで生きていた事が想像されます。

私の父は、戦争に行った人間でしたので、小野田さんの出現に、
当時、自分の姿を重ねて、戦争体験を思い出していました。

中野学校は、スパイの学校であり、頭脳明晰な人が集められていたようです。
それで、父は、小野田さんは、
普通の人よりも頭がいいのだ!と言っていました。

何年か前に、偶然ラジオで、ゲストの女性が面白い体験を話していました。
偶然にも、小野田さんの奥さんだったのです。

ブラジルに渡った頃の話で、日本よりも不便な生活の事をおっとりと、
話されていました。

戦争中には、日本国内も大変でしたが、
父は、国内の人は一番楽だったのだ!と言っていました。

前に私がこのブログに載せた写真の中に、
パラオの海に浮かぶ小さな岩の島があります。
この島の穴の中に、今も、戦争当時の鉄砲や大砲が置いてあるのです。

ダイバーの中には、海の中(水深1M位の浅い所)に今もあるゼロ戦に、
乗って、遊ぶ人もいます。
ゼロ戦は、思っていたよりも小さいのです。
私は、そんな気持ちにはなれないのですが・・・

小さな無人島には、今も、さび付いた戦車だってあります。


こんな海の中で、水も食べ物もなく、暑さの中で、
お国の為に戦った兵隊さんが不憫でなりませんでした。

グアムや、サイパンの海中にも、戦死者の骨がたくさんあるでしょう。

グアムもルバング島もジャングルの中です。
30年もの間、身を隠して生きる事しか出来なかった人を思うと、
この戦争の犠牲者としか思えません。

父はよく、同じ人間でも、人間が違う!と言っていました。
この言葉は、戦争体験のない人間への言葉で、
戦争を体験して、戦地で苦労した人間の言葉です。

でも、戦争体験者が、高齢になり、亡くなって行くので、
段々と、生の声が聞けなくなってしまいますね。

せめて、本だけでも、たくさん残しておかないと、
戦争体験者が浮かばれないでしょうね。






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by sea1900 | 2005-08-11 15:47 | 人間