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海の上のピアニスト

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テレジンの小さな画家達




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テレジンの収容所には、第二次世界大戦時ナチスによって移送された15000人の子供達が収容されていたといわれています。10才から15才未満の子どもたちが、男と女に分けられ、それぞれ〃男の子の家″ ″女の子の家″に入れられ、別棟にいる家族と連絡をとることも、子どもに勉強を教えることも見つかれば死刑でした。このような中で、反ナチス地下運動の指導者や、パルチザンの闘士が送りこまれ、その中に若い作家や画家、音楽家などがおり、多くの犠牲をはらいながら、極秘の内に子どもたちに詩や絵を教えたのです。子どもたちは、飢えと寒さ、親から離れた淋しさ死の不安の中で粗末な紙切れと、小さな折れたクレヨンで、子ども達は絵を描き、詩を書いて残しました。残された絵は4000枚にのぼります。しかし、子ども達は次から次へとここから毎日のようにアウシュビッツヘ送られ、ガス室ヘ消えていったのです。もちろん教えた若い画家たちも一緒に。テレジン強制収容所に送られた子どものうち、生き残ったのはわずか100人だったのです。」
朗読会や音楽会、子どもに絵や勉強を教えたり、自治組織を作って雑誌を発行するなどしたその活動の一部を知ったナチスは、虐殺行為のカムフラージュとしてその活動をある程度認め、逆にプロパガンダに利用していた。<抜粋>

10年前、、私は、、ドリアン助川の『湾岸線に陽は昇る』を読んでいた。
この本が、出版されて、このテレジンの事を知ってから、早い物で、10年も経ってしまった。
彼は、実際に1989年のベルリンの壁崩壊、90年には、東欧全体が動き始め、革命の炎がチェコからルーマニア、旧ソビエト連邦まで広がった時に、取材旅行をした。
そして、その最中に、テレジンを訪れたのだ。
同行した三戸君と、物見遊山。観光の為に訪れたが、この事が、東欧取材の中で、一番ヘビーだったと語っている。
この収容所に収容されたのが、主に子供達だった事も2人の心を暗くしたのだ。

そして、プラハにあるゲットー博物館。
この一角には、テレジンに収容された子供達の絵や日記が残されている。

今から、60年前に書かれた子供達の作品は、身体の奥底、心の奥底に呼びかけるようなほのかなささやきであり、それでいて、力強い、人間が、人間である為のささやきだと、彼は、結んでいる。

私は、最初、この絵は、ナチスが子供達に描かせたのだと考えていた。
ヒットラーは、絵描きだったので、子供達から、何かヒントでも得る為に、
そうしたのだと思えたからだ。
ところが、実際は、上記の様ないきさつだった。

子供に絵を描かせると、色々見えて来ると言われるが、
私は、東欧に出かけたら、是非、この博物館に行きたいと思っている。
そう、10年前からなのだ。

しかし、やはりヘビーな思いになるだろう?
観たくない!知りたくない!と言う気持ちも在るが、
テレジンの事を知ってしまった私の義務で在るような気もするし・・・

それと、ベルリンの壁の跡も観てみたい!と思っている。

ヨーロッパは、その歴史なくしては、語れない所なのだろう。



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by sea1900 | 2005-07-19 01:19 | 人間

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