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海の上のピアニスト

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『 アフガン零年 』



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長年の戦争の末、タリバンが政権の座についたアフガニスタン。イスラムの教えを厳格に守ろうとするタリバン政権下では、女性は身内の男性の同伴なしには外出が許されなかった。そんな中、生計を支えるべき男たちを全員戦争で失い、祖母と母親、そして12歳の少女の3人だけになってしまった一家があった。彼女たちは外出も出来ず生活の糧を失う。母親は仕方なく少女を男の子に変装させて働かせることを決意。バレた時の恐怖に怯える少女をなだめると、そのおさげ髪をバッサリと切り少年の姿にして、亡き父の戦友だったミルク屋に働きに出すのだったが…。   < 抜粋 >

主人公の少女を演じるのは、バルマク監督が3,400人の中から選んだというマリナ・ゴルバハーリ。彼女は、内戦が最も激しかった時代に家と2人の姉を亡くしてカブールに移り住み、脚が不自由になった父親とまだ乳飲み子を抱える母親にかわって、5歳の頃から幼い弟とともに路上で物乞いをして生き延びてきた少女です。

当初、この映画は『虹』というタイトルでした。監督は脚本通り、少女が希望の象徴である虹をくぐり、自由と希望に向かうラストシーンを撮影しました、しかし編集中、戦時下を思い出すたび涙の止まらなくなるマリナの姿を繰り返し映像の中に見た監督は、悩んだ末に虹のシーンを全てカットしたのです。「アフガニスタンの悲劇はまだ終わっていない。今虹を書くのは嘘になる」という監督の思いが込められた新しいラストシーンは、泣くことすら出来ないアフガンの悲しい現実を痛いほど切実に物語っています。<抜粋>


この時代に、こんなに女性の立場も地位もゼロの国が、存在する事に驚いた。
最も、昔見たトルコ映画特集(岩波ホール)でも、女性の地位が低くて、女は、男の奴隷として、存在するだけの、悲惨な現状を観る事は、あったのだ。

さて、このアフガン零年を観ると、生きる為に男にならざるを得なかった悲劇が、心に沁みて痛い。
マリナの演技が、余りにも切実で、とても演技とは思えない。
引き込まれる度に、この悲劇の、根本的な原因はなんだろうかと思った。

一年間に、正当な理由もなく、実は、5000~6000人の女性が、殺されている現実がある。
それは、この舞台のアフガニスタンや、イラン、中東やアフリカにまで及んでいる事だ。

女性の地位がない(私は、低いとは思わない。完全にゼロなのだ。)ので、
未婚の母になったり、不倫をしていないのに、疑われたりすると、その女の父親や、兄や、夫達男性は、この女を殺す事が出来る。そして、これは正当な事として、罪にならないのだ。

最近では、『生きたまま、焼かれて』?だったと思うが、書店に並んでいるので、この現実を知らない女性は、是非こんな事が実際には、起こっている!事を知って欲しい。

広河隆一責任編集による、世界を視るフォトジャーナリズム月刊誌『DAYS』6月号には、《男性と社会に虐げられる女性たち、アフガニスタン》が載っている。

暴力から逃れる為に、死を選ぶ女性がいる。
アフガニスタンでは、男性による女性への暴力は社会的に容認されており、
司法関係者でもその暴力を裁こうとしない。

その背景には、暴力を受けた女性を、さらに社会が追いつめるという構図がある。
男性が因習を打ち破り、行動しようとしない限り、
このような悲劇は繰り返される。    ・・・福井昌子・・・

暴力と強制結婚
 殴られても殴られても、じっと我慢し続ければ、死んだ後、天国で幸せになる。
殴られたからといって離婚を考えると。地獄に落ちるーアフガニスタンではそう考えられていると言う。

全く、おかしな男達の天国だ。しかし、いつか滅びる時を迎えるだろう。
正しくない事は、いつかは、滅びるに決まっている!

この歴史が、繰返されない時代が早く来るよう、社会そのものが変わっていく事を望む!

零年が、出発のゼロになるように!

 映画から学ぶ事は、限りなくある!
私は、その一つ、一つを大切にして生きたいと思っている。

素晴らしい作品に出会えて、良かった。



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by sea1900 | 2005-07-10 23:25 | 映画