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海の上のピアニスト

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力を入れすぎないblog  それなりに暮す毎日

これは『昼顔』から『夜顔』を観た人にしか解らない内容。

そして、これが『昼顔』から38年後のセヴリーヌと彼女の今は亡き夫の友人ユッソンの姿だと思うと、それだけでは無い。
「私はかつての私ではないのよ!」
「あなたが敬虔な信者になったのですか!あなたが!」
何年経った所で、ユッソンにとっては、セヴリーヌは『昼顔』なのだ。
背徳、欲望、そう言ったものから『倒錯した愛の世界』に浸ったセヴリーヌ。
『昼顔』の解釈の仕方を、続編『夜顔』では、こう作ったけれど、最後の解釈はあなたにお任せします。とオリヴェイラ監督が笑っている様な仕上がりだ。
 『昼顔』でも幻想的なシーンがあって、どこまでが現実なのか、どれが幻想なのか解り辛いところもあった。
 食卓の蝋燭の減り方が自然で、セットのレストランが本物の老舗の店に思える。
その中での2人の会話の行方は少なく、ユッソンはあの箱を取り出すが、これは完全にブニュエルへのオマージュ。
 セヴリーヌが機嫌を損ねて立ち去ったドアには、鶏が現れる。が、これは幻想。
昼顔では、セヴリーヌはユッソンにそそのかされて昼間だけの高級娼婦に成るが、夜の娼婦が現実的だとするならば、昼の娼婦は現実的ではない。つまりは、全てが『幻想』だったかもしれないという示唆。
ブニュエルは、『幻想』は、ブルジョアジーの特権であり、それによって民衆支配を促す元凶である。という。
全ては『幻想』という想定ならば、納得できそうだった。
レストランのシーンには、凝縮された美しさがあって、ヨーロッパ映画の良さを思う存分楽しめる作品でもある。



参考に、
――映画<昼顔>の結末は、私には、ちょっと納得のいきかねる節があった。
  戦後いちはやく、堀口大学の無削除版の原作の翻訳を読んだが、そこでは、たしかセヴリーヌが情夫マルセルをけしかけて、夫ピエールをピストルで撃たせるのではなかっただろうか。
   少なくとも、そのほうが夫婦愛のサド=マゾヒズム状況に関する、論理的一貫性を保ち得たはずであろう。
   そのほうが、セヴリーヌは夫の失明の責任を、よりひしひしと身内に感じること出来たはずであろう。
   しかし、ブニュエルには、どうやら結末に曖昧なものを残しておく、ミスティフイカシオン(韜晦)の趣味があるように見受けられる。
  平凡なインテリの亭主を失明させ、廃人同様にしてしまうという筋立ては、ブニュエルにとって、生理的快感ともいうべき、一つの世界の完成につながる満足感をもたらすものだったに違いない。

     ・・・・・・・・・・・・澁澤龍彦・・・
# by sea1900 | 2008-07-31 00:41 | 映画
秋葉原の事件の事を、知人と話していた。

私は両親の会見を直接TVで観た訳ではないけれど、ここまで親が出てこなければ成らないのだろうか?と私は思っている。
25歳にもなって、ましてや親元から離れて暮らしていた犯人の心理状況を親が知るはずも無いだろう。
 この話を子供のいない中年の男性2人に言うと、『親に責任がある。』と断言するのだった。
彼らは「40、50歳にもなれば親の責任は無いけれど、まだ25歳くらいじゃね!」と笑う。
だったら、親は自分が70歳を過ぎても、子供の事をいつも考えなければならない事になるわけでこれは変だ。



知人の友人の子供が、この事件の時、偶然同じ場所に居合わせていたそうだ。
そして、被害者を携帯で撮ったのだという。
おそらくは、何枚何十枚という被害者の写真が携帯やPCから世界中に発信されただろう。

ほとんど、何の感情も持ち合わせないで、興味本位の行動としか思えない。
『常識』や『良識』『思いやり』等の語彙が古典的に思えていく。
しかし、日常をPCや携帯なしでは生きていけない彼らにとっては、特別な行為ではないのだ。
写真を流す行為は、日常茶飯事なのだから、被写体がけが人であっても、ごく普通の人間であっても関係なし。

今日発売の週刊文春に、

青森県一の進学校から「8年負けっ放しの人生」とあるが、
誰が「負けっぱなし」と決め付けるのだろうか?

偏差値の高い大学を卒業して、有名企業に入れば勝組なのだろうか?

『勝った』と思えて優越感に浸った事が逆転する事もあるだろう。
要は考え方次第なのだけれど。


偏差値教育の落とし穴だって、一つや二つじゃないけれど、

まだまだ無邪気な小さな子供を見ると、
犯罪に巻き込まれないで生きていって欲しい。とだけ思うこのごろだ。
# by sea1900 | 2008-06-12 21:59 | 現在
青い地球は何処に行く!

後40年でガソリンは無くなるかもしれない。
食料危機にもなるだろう。
地球温暖化もどんどん進むだろう。
電力も底をつくだろう。
飲料水も少なくなるだろう。
異常気象も今よりももっと激しくなるだろう。
人間も荒れるだろう。
暴力もはびこって、嫌な事件も多発するだろう。

スタンプで押したような『明るい未来』という言葉は、何処かに消える。

義務教育だって、拒絶する人間が増えるだろう。
登校拒否、ニート、校内での問題、まっすぐには生きられない子供達。

問題ばかりが山積みだけれど、
『哲学』を頭で理解するよりも、
山積みの問題のある日常を、たいした希望も夢もなくいき続ける事は、
意味のある事なんじゃないかな。

ただ、生きる事だけに全エネルギーを向けて惜しまない動植物を見習う時もあるはず。

こんな時は、さんご礁の海にでも出かけるのが一番いいのだと思うけれど、
それも時間がないね。

人間が人間を傷つけて、人間恐怖症になっている貴方に言える事はただ一つ。


コミュニケーションがうまくいかずに、落ち込んでいる貴方に言える事はただ一つ。

良い人もたくさんいるよ、この世の中には・・・・・・
# by sea1900 | 2008-06-07 15:38 | 手紙
イギリス映画の良さは、決して派手ではなく、マホガニーのイギリス家具が何年もの間使われるような実直さにあると思う。
 
 孫の病気の為に大金を工面しなければならなくなり、初老のおばあちゃんマギーは風俗業界に入り、天性の『やわらかい手』で、売春はしないでお金を稼ぐというストーリーなのだけれど、そのプロセスの中には、風俗店経営者の移民ゆえの話や、性に対するユーモアも織り込まれていて、きめ細やかな演出がにくい。

平凡にこのまま歳をとっていくしかないと思えるマギーにとって、この事実は彼女自身の大きなターニングポイントとなり、次の人生を切り開いていく事になる。
 元々マギーは強い女性だったと思うが、世間体を考慮して自分を押さえ込んで生きてきたのだろう。ところが、人のうわさや評判を気にせず、自分自身を信じて生きる事に徹する姿に変化した時のマギーの姿には、面白い程スッとした爽やかさを感じる。

シンプルなストーリーを背景に、確かな演技力のマリアンヌ・フェイスフルの自らの再生とダブったような重厚感がすばらしくて、歳をとる意味が見えてくるような作品だと思った。

どんな状況にあっても、マギーの自分自身を失わずに前向きに進む姿には、周りの人を幸せに導くパワーを感じて、心に残るとても力強い映画に仕上がっていた。


 
# by sea1900 | 2008-06-06 22:33 | 映画
男性のロンゲはいただけない。
美しいとは思えないからだ。

先日、友人とさる会場にて丸イスに座っていた。
1ドリンクは、冷たいビール。

友人の前に座っていたのは、ロンゲをどこぞの宗教団体のご一行様のごとく、一つに縛っている女性だった。と思ったら、男性。
艶も無く、白髪交じりのその御髪には、不潔感が漂っている。

ロンゲは+チョーがつくロンゲの2乗。
ロンゲの先がイスの下にある。と言う事は、ここ何年か切っていない模様。

隣の友人が何か様子がおかしかった。後で聞くと、友人のビールの缶にぺったりとロンゲが張り付くので、気持ち悪がっていたのだった。

この話を昨日、人形教室で話したら大笑いになった。



けれど、一番面白いと思ったのは、挨拶もしない暗い影を持つ男性が、
ケタケタと下を向いて笑っていた事だった。
# by sea1900 | 2008-06-05 02:35 | 人間

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